のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

歴オタの極め話に引き込まれた日 三國志から世界への視点

中国メディアにお勤めだった友人が非公開の勉強会を開いてくれました。

 

これまでも孫子の兵法の読み方〜解説などオリジナルレジュメを作って講義してくれました。

 

この資料売れるんじゃね?と思うような内容で、書店で本を探しても辿り着けないような情報が満載です。

 

今回は四川省へ旅行へ行く人対象に国家の成立からお話してくれました。

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私は旅行の予定はなかったのですがお願いして仲間に入れてもらいました。

 

「商人」とは安く仕入れて高く売る=殷(商)の人という意味からきてるとか、青銅器は銅7:錫3の割合で雲南が錫の産地であるとか、四川省流刑地だったとか初めて聞くことばかりでした。

 

項羽劉邦を左の方向へ移したことから左遷という言葉ができたり、暗渡陳倉は劉邦項羽を闇の道から攻撃したことから使われるようになったなど。

 

一番驚いたのは始皇帝のお母様が呂不韋と愛人関係だったということでした。

 

ほかに四川省は無農薬の韃靼蕎麦の産地でフェリシモさんが支援してるなど、時間を忘れるほど楽しいお話を聞かせてもらえました。

 

歴史の教科書で受験対策してもなにも頭に入りませんが、友人の話はリアルに刺さるのでまた時間を取ってほしいとオーダーしておきました。

 

他にもまだまだたくさん教わりましたが、四川旅行の前振りというよりガチの歴史解説でものごとの捉え方すら変わるような時間を過ごせました。

 

この人レンタルしたら1日いくらかなぁ?(笑)

ほしければなにか手放そう

両手がふさがったままなにかを欲しがっても持てませんよね。

 

ゴミだらけで魔窟のようだった実家で殆どの家具・家財を処分したらバリアフリー改修ができて室内も車椅子移動できるようになりました。

 

高齢親のあれもいる、これもいるを間に受けていたら足の踏み場もない室内で転倒、骨折や打撲で大変だったろうと思います。

 

じっさい母を担架に乗せても搬出できませんでしたからね。

 

ゴミ屋敷は命の危険もあるということです。

 

歳を取るってそんなことすら予想できなくなるのです。

 

一度手に入れたモノに対する異常なまでの執着にはほとほと呆れました。

 

多くの高齢者は本来ならもっと快適に過ごせるはずの環境も活かせず老いていくのです。

 

そういう残念な高齢者を見るたび惜しい、もったいないと感じていましたが最近はそれはそれで本人のしたいことなんだからありなのだろうと思うようになりました。

 

というよりさほど他者に関心が向かなくなってきたのです。

 

それは私の状況が変化したからに他なりません。

 

もっとこうすれば介護に楽な住環境になるし使わないものを処分すればスペースが空くのにと思いつつ、なにもかもがそんなにうまい具合に進まないというのを体感したからでしょう。

こんな些細なことが嬉しいなんて

介護中は16時過ぎに母がデイサービスから戻ってきますから夕方に自由時間など持てませんでした。

 

せいぜい夕飯前にテレビを見ながらお喋りする程度です。それも母は理解できず反応がありません。

 

本人も手持ち無沙汰で仕方なかっただろうと思います。

 

先日の帰省では夕方から書店併設のカフェでゆっくり過ごせました。

 

介護しているとそんないつでもできるだろう、という小さな願いも叶わなかったりするのです。

 

私にとっては夢のような自由時間でした。

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コーヒーも乳製品も避けてるので豆乳チャイを飲みながら好きな本をパラパラめくって日が暮れても慌てて帰らずに済む。

 

そんな些細なことでとても幸せな気持ちになりました。

 

ケアラー(介護者)のストレス要因はごく普通のことすら制約があってできないことです。

 

母を置いて夕方から出掛けてみたい、ちょっとした買い物へ行きたい。

 

留守番させてるあいだに転倒すれば起き上がれない、火の元も心配、来客や電話があっても対応できない、だからずっと一緒にいるしかない。

 

これは思いのほかキツいのです。

 

それまで自由だった人ほど負担かと思います。

 

それ故に夕方からの外出がこのうえなく嬉しく普段の何倍も心が満たされました。

 

今のあたりまえはあたりまえじゃないってことですね。

ケア友の理想とは

いっとき在宅介護や終末期医療のセミナーなどに通ってなにかしら掴んで帰ろうと必死でした。

 

いってみれば正解がないのに答えを探していたようなものでした。

 

在宅医療に携わる著名な方のトークイベントで質疑応答できる機会がありました。

 

医療・介護職もしくは現在誰かを介護している人が参加していて、皆さん非常に深く考えておられるのがわかりました。

 

多死社会の到来でご遺体の安置場所や火葬・埋葬場所すら不足するのが予想できる近未来どのように対応していくか?みたいな資料も配られました。

 

私がこの1年のあいだに経験したような看取りや葬儀はできなくなっていくだろうと思いました(私自身今のような葬儀スタイルを望んでいません)

 

書店のなかのイベントスペースだったので帰りに店内をウロウロしていると見知らぬ女性に声をかけられました。

 

なんだか面倒そうな人だな。

 

私の直感はほぼ当たります(笑)

 

聞けば要介護4か5のお母様をお父様が在宅介護していて云々と説明を始めました。

 

今よりいい人ぶっていた私はつい話を聞いてしまい自分の身の上も少しお話ししました。

 

「あ、仙台に友達がいるんですよ‼︎なんとかが丘っていう地名で・・・」

 

どこにでもありうる新興住宅団地のことをいわれても共通項すらないですしね。

 

今日のスピーカーのこともなにも知らずに参加したというし、ピントのズレた人なんだなと感じながら駅まで一緒に歩いていきました。

 

駅でまたひとしきり話しだして連絡先を交換したいとガラケーからメールアドレスを差し出され困惑しました。

 

後日お互い頑張りましょうみたいな文章が送られてきて、この人はなにを望んでいたのだろうと疑問に感じました。

 

自分の辛い境遇を喋り倒せる相手や場所は確かに必要で私にもそんな時期がありました。

 

しかし相手の手持ち時間を奪うだけの吐き出しは、自分はスッキリしてもこちらはお付き合いしかねます。

 

ちょっと冷たい言い方かもしれませんが、人間関係もできていないあいだがらで溜まった愚痴を話すのはほどほどにしておくほうがよさそうです。

歳をとると頑固になるものなのよと諭される

介護中の人と話すと親が強情で頑固だから介護そのものよりメンタルが辛いと話題になります。

 

それ、よくわかります。

 

場合によっては「誰に向かっていってるの‼︎」などと罵倒されたりもしますしね。

 

いやいや、できないことをお手伝いしてるんだからちょっとはいうこと聞いてよと思いますが、元からの性格なのか加齢で頑固になったのかこちらの頭がおかしくなります。

 

そこがすんなり上手くいけば感情を伴わない身体介助はずっと楽になるのですが。

 

介護者は時間の制約のあるなかでお世話してますからね、どうしても気長に待つなんてできません。

 

流れるように作業していかないといつまでたってもオムツは変えられない、ゴミ出しも行けない、食事の支度も後片付けもなにもかも滞る。

 

寝る時間がどんどん遅くなり、ようやく横になれたかと思えば深夜のトイレ介助もあったりですぐ朝になります。

 

身支度や朝食介助を経てデイサービスに送り出すまでまた手こずります。

 

被介護者はその日の天気や気分で動いたり動かなかったり、こちらの事情はおかまいなしです。

 

「いまに集中」

 

そんなことわかってるんですよ。

 

ただそのあとに控えた他の用事や手続きを考えながら動いてますからね、どうしても焦燥感が湧き上がってくるのです。

 

そんな話を叔母としていたら高齢者ってだんだんそうなるものなのよ、といわれました。

 

自分もなるべく柔軟でありたいのですがこればかりは他者が判断するわけですからね、少し前倒しでよい加減の人になりたいですね。