のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

すべてを活かしきるなんて無理

頭がはっきりしているうちに身じまいしたいと考えています。

 

なぜなら親が溜め込むだけ溜め込んだ魔窟のようなゴミ屋敷の片付けに4年もかかり、手つかずの所有地を処分して空き家の解体までして消耗しきったからです。

 

そこまでしてもなお実家の管理に毎月通いピアノ教室の運営や広い庭の手入れ、地域社会のお付き合いなど負担が大きくいつまでやれるかわかりません。

 

その都度モノや時間を活かしていればこんな無駄なことにならなかったのに、と思うことが山ほどあります。

 

私自身がこの先どう生きたいか介護抜きで考えられる機会をようやく得ました。

 

できうる限り持ち物を減らし(所有だけで膨大なエネルギーロスです)生活スペースもコンパクトに、人との交流を面倒がらない暮らしをしたいと思っています。

 

モノを手に入れるさいは処分まで考えることはほぼありません。

 

しかしいずれ手放す日がきます。

 

その時なるべく大変な思いをしなくて済むような暮らし方をしたいのです。

 

(不動産の処分や家屋の解体の届け出や申請、その後の相続など大変でした)

見えない存在に守られて介護できていた

介護してるというと「大変ね〜」とわかったようなわからないような言葉をかけられます。

 

経験者だからと共感されるわけでもなく、関わる頻度や密度によるものかと思います。

 

特に私は遠距離でしたから新幹線のチケット手配からすでに介護が始まっているのでした。

 

日程も前後に余白をもうけて体調も整え予備日を作らないと移動だけで疲労困憊でした。

 

どうせならあれもこれも作業したいし、会って説明したい人もいる。

 

無事に往復するだけでも大変なのについ欲張って詰め込んでしまう。

 

それがどれだけ傲慢だったかあとでわかりましたが。

 

振り返れば地震やテロや豪雨豪雪で新幹線が遅れたことは一度もなく、いつも予定通りに往復できていただけでラッキーでした。

 

しかしそれを当然のように思いはじめると「あれもできなかった、これも手つかずだし」と見えない存在に守られていることを忘れて、さらにもっともっとと欲を出してしまいます。

 

もうね、そこそこでいいんですよね。

 

毎回やれる精一杯の介護と片付けや手続きで自分の自由もけっこう犠牲にしてきたんですから。

 

10年に渡る遠距離介護を卒業して、これからは先祖代々お世話になっている地域の方々とのおつきあいを大切にしながら自分を生きてよいのだと思っています。

不調を極限まで我慢する男性が多いらしい

漢方の学びなおしのためいくつか講義を受けています。

 

そのなかでよくいわれるのが「男性は体調不良をギリギリまで我慢しどうにもならなくなってから駆け込む」症例が多いということです。

 

なぜ、どうして⁇

 

自分の不調は自分が一番わかっていると思ってるから

 

こんな程度で医療機関に行くほどでもないと思ってるから

 

もし重篤な病気とわかったら立ち直れそうもないから

 

自分に限って大変な病気になるはずないと思ってるから

 

さてどれでしょう。

 

自分のことは案外わかりませんよ。

 

最初の不調シグナルを無視すると大変なことになりかねませんよ。

 

早い段階でわかれば重篤な病気でも打つ手はあるでしょう。

 

自分に限って大変な病気かもしれません。受け入れるよりないです。周囲に当たり散らすとかやめましょう。

 

所見ありを10年間無視し続けて、ある朝布団から出られなくなって搬送されその場で透析が始まった身内がいるので思い出しました。

 

連れ合いがデータをすべて揃えて病院の予約を取ってくれて、当日手ぶらで行くだけの状態までしてもらったのに勝手にキャンセルしていました。

 

結果を知るのが怖かったんでしょうかね。

 

自分の不調を認めていたということですよね。

 

たとえ単身者でも自分一人の身体ではありません。多くの人が気づかってくれていることを忘れないでください。

 

病気が必ずしも不幸とは限りませんが、できたら健康で楽しく暮らせたほうがよくないですか?

揉め事がないのが一番

誰とでも仲良くなんて無理ですが、人間関係の揉め事のないのが一番心が安定します。

 

周囲と調和が取れているということですね。

 

しかし選挙時期だけ近寄ってくる人とか、さっさと用事を済ませたい買い物の途中で話しかけてくる人とか避けたい人っているものです。

 

やましいことをしてるわけでもないのに、その人を避けるために考えて行動したり、いない時間帯を見計らったりなんだかおかしいですよね。

 

相手も悪気がないのは承知してますよ。

 

しかし心の余裕がない私は暇そうに話しかけられても対応に困るのです。

 

近ごろ同じような感覚の何人かとお喋りして、自分は無自覚に人にストレスを与えていないだろうか?などと思ったのでした。

ラストエンペラーの末裔とお喋り

大叔父が満洲から引き揚げてきたこともあってラストエンペラーに興味を持ち、映画や書籍、おとうと溥傑さんのご自宅へ伺ったり、自分の名前が満洲鉄道の快速列車と同じだったり勝手にご縁を感じていました。

 

父は満州事変の翌年うまれで祖父がなぜか満洲にちなんだ名前をつけました。

 

私が教わっている中国語の先生は満洲帝国の一部だった遼寧省のご出身で、おじいさまが満蒙開拓団で日本から移住された方でした。

 

私の大叔父の書籍が長野県の阿智村にある満蒙開拓平和記念館に展示されていると、このブログの読者さんから連絡をもらいました。

 

バラバラのピースを集めていった先になにがあるのかな?

 

先日ラストエンペラー愛新覚羅家の末裔の方とお会いし、素晴らしいピアノ演奏を聴かせていただき中国茶をご馳走になりました。

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日頃わざわざ出自や満州族であることを喋ることはなく、普通に生活されているとか。

 

暗く未来の見えない文化大革命の頃、芸術や知識から遠ざかる生活を余儀なくされていたけれど、今はピアノコンクールでも中国の方が入賞されたり、毛沢東の奥様が好きだった京劇が保護されていたなど興味深いお話が聞けました。

 

ピアノもお茶も楽しめたらいいのよ、とはなしておられ「きっちりルールを守る」ことを良しとしている日本とは異なる価値観なようです。

 

ご自身も東京大学文化大革命の研究をされているそうですが、政府の所有する一級資料に触れられるはずもなく真実にアプローチするのはなかなか難しいようです。

 

質疑応答の時間があり「江青夫人が獄中自殺したのは本当ですか?」とかなり下世話な質問をしたところ「本当のところはわからない」という答えでした。そりゃそうでしょう。

 

次回お会いできるなら男装の麗人川島芳子氏のお話を聞こうかと思っています。