のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

機能性ディスペプシア寛解までの道のり⑥

1年に2つの葬儀

2018年9月に母は亡くなり私は1年に2つの葬儀を出し喪主を務めました。そのあいだずっと体調不良のままです。

 

母のいた施設の引き上げや49日法要(父の一周忌といっしょにしました)を済ませたころアコファイドを飲み終わり効き目もいまいちでどうしようかなと考えていました。

漢方薬の再開

鍼灸ドクターに系列の漢方クリニックを紹介され期待せず受診しました。

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経緯を把握している鍼灸ドクターも同席してくれて問診、脈診などして「気」を測定し

半夏瀉心湯(消化不良、胸焼け、神経性胃炎)

甘麦大棗湯(女性の神経症、不眠)

人参養栄湯(疲労倦怠、食欲不振、寝汗、冷え、貧血)を処方されました。

1日3回食前に飲むのが負担

さまざまなことに投げやりになっていた私は、さして食欲もないのに1日3回食前に服用するのが面倒でした。

 

そもそも3食たべたくもないのに時間が来たら服用しなければならない、不味い、出先では忘れる、すると薬が溜まっていく、しかも効果はよくわからない。与えられたノルマもこなせないような気分です。

通院も飲むのもストレスなんです

正直に「ここまで来るのも飲むのもストレスなんです」とはなしました。片道小1時間かけて毎月通院し、その時間は寝ていたいというのが本音です。しかし気(エネルギー)も血(栄養)も虚して生活養生などではどうにもならなくなっていた私は鍼灸治療にプラスして漢方薬の力を借りるよりなかったのです。

機能性ディスペプシア寛解までの道のり⑤

脳幹出血 

お盆時期に搬送された母は点滴で顔色も良くなりましたが、翌朝片麻痺がみられるとのことで再度搬送されました。私が父の初盆で帰省しているタイミングを知ってのことだったのでしょうか。

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父の検死をしてくれたドクターが担当

父が自宅で突然死していて検死してくださったドクターが母をみてくれました。病室も満床だったのにちょうど退院する方がいて個室に入れました。

 

左半身がだらんとしている母を見て「脳梗塞かもしれない」と思いました。画像撮影すると脳幹から出血していて手の施しようがないといいます。

 

頭の中で父の一周忌をどうしよう⁇母の葬儀と重なるかも⁇また相続事務をするのか⁇など不安でぐるぐるになります。

私の病状をはなす

母の主治医に自分が機能性ディスペプシアでアコファイドを服用中で、ずっと付き添いしていると薬がなくなりそうでどうすればよいか相談しました。

 

「こちらでも処方しますよ」といわれ自分ごとはひとまず解決した気がしました。しかし酷暑と気疲れと疲労で症状はよくなりません。

危篤です

いつが臨終か今夜かも来週かもわかりません、というこたえでした。こっそりナースに聞くと「半年ぐらいの方もいますよ」

 

張り詰めた気持ちのまま半年なんて耐えられません。入院手続きをしながら「ご遺体の引き受け先がないと行き場がないんだな」と現実を知りました。

 

施設の方が母の衣類を運んでくれて、歯磨きシートやこまごました買い物をドラッグストアで済ませました。

自分の体調不安

千葉とのあいだを1ヶ月に3往復しながら合間に総合病院で受診し効果のわからないアコファイドを2ヶ月分処方してもらい鍼灸治療にも通いました。

 

母はときどき持ち直して、このまま回復するのではないか⁇とうっかり期待しそうになったこともありました。しかし今が確実に終末期で、受け入れ寄り添う以外私にできることはなにもありませんでした。

 

あいかわらずみぞおちがつかえて食べられず、鎖骨も腰骨も浮き出てきました。あ、そろそろ限界かも。今の状況がもう無理なんだと身体がアラームを鳴らしていました。

機能性ディスペプシア寛解までの道のり④

庭木の手入れと相続事務

2018年7月からアコファイドを飲み始め、手入れが行き届かずジャングルのような実家の草むしりと剪定と父の初盆支度が重なりました。

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10ヶ月以内の申告納期限の相続事務が非常に厄介で仙台の税理士さんとの打ち合わせのために日程をやりくりして千葉から通いました。

書類を揃えるだけでくたくた

公正証書遺言を遺してくれた父でしたがそれでも相続に絡む事務は面倒極まりなく、戸籍関係の取り寄せや金融機関、保険会社への提出書類を揃えるだけでくたくたになります。

気虚(エネルギー不足)の私には辛い

気力・余力のないときに相続事務はできません。並行しながら漢方講師としての資料作りや講義の練習をなんども繰り返し聴講してくれる方に満足してもらおうと努力していました。

父の初盆と母の容態急変

相続事務が一区切りつき父の初盆準備をしているときに母の様子がいつもと違うと施設から連絡がありました。春先にもちょっとした体調不良で一泊二日の入院をしていたのでまた同じだろうと軽く捉えていました。

 

私は胃の不調に加えて寝汗が酷くなり漢方薬補中益気湯を併用するようになっていました。アコファイドの効果はよくわかりませんでした。

 

機能性ディスペプシア寛解までの道のり③

同じように苦しむ人々の存在

なにかのきっかけで機能性ディスペプシアに苦しむ人のツィートを見つけました。私以外にもこの症状に悩まされている仲間がいる‼︎少しだけ孤独がやわらぎました。

母の様子はまずまず

毎月帰省のたび面会し、着替えやタオルのチェックや介護計画書にサインをし一緒の時間を過ごしました。

 

合間に香典返しの処分やこまごました雑務をこなしているころ、通っていたヨガスタジオの社長から漢方講座で話をしてほしいとオファーをいただきました。これはやりがいもありながらやはりストレスだったようです。

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鉄剤が効いてきた

鉄剤を90日分処方されていたため酷い貧血は改善されつつありました。数値もよくなりましたが食欲がなく食べ物からの鉄分補給はできずにいました。

痛みで辛くて夏も湯たんぽ

2018年6月、鍼灸ドクターになにをしても辛いみぞおちのつかえを訴えると湯たんぽを当てるようにアドバイスされ帰省していたタイミングで地元の岩盤浴へ行ったりしました。

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広い敷地の草むしりと庭木の剪定に悩まされる梅雨どきからどんどん辛くなり、再度総合病院を受診すると消化活動を活発にするアコファイドを処方されました。

本家ののぞみさん 父の名代で法要に参列

満蒙開拓団で大陸へ渡った身内

戦前の国策で満洲へ渡り戦後私の実家で父と兄弟同様に育った父のいとこの法要に参列しました。場所は宮城県白石市で県北出身の私に土地勘はありません。f:id:nozosan-net:20191111063526j:image

父から託されていた

私は本家の家督を継いだため父から親戚の冠婚葬祭および祭祀のすべてを託されています。ご丁寧に公正証書遺言にまで明記してくれて逃げようがないのです(笑)

親戚も歳を取る

両親とも他界した現在、昔のように本家に集まる習慣もすたれそれはそれで助かるのですがリアルに会う機会もなくなりました。

真言宗の法要に初めて参列

仏事慣れしているわりに真言宗の作法を知らずどうすればよいものか悩みながら当日を迎えました。が父のいとこたちと「臨済宗と同じでいいんだよね⁇」とはなしながらいつもどおり振る舞いました。

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供養膳のお席では「本家ののぞみさん」と皆さんに紹介されなごやかな雰囲気で過ごせました。

 

なんど経験を重ねても仏事は初めての寺院や会場ですから抜かりがないかどうか確認するだけでヘトヘトです。

 

今回も寺院からセレモニー会館まで車でしか行けないことを調べずに行ったわりに父のいとこが送ってくれたり毎回ついてるなぁと感じました。

前乗りしといてよかった

ギリギリで慌てるのが嫌な私は前日から白石入りして礼服や靴など準備していました。お寺の場所もホテルから歩いて行けることを確認し父の名代で粗相のないよう準備をしておきました。

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時間に余裕があったお陰でキツネ村にも行けて身体を休めるゆとりもありました。朝に新幹線で現地入りし、法要終わりで県内の実家へ移動するなどという無理な組み方をしなくて正解でした。