家族というものに期待しすぎない
すでにカーネーションを贈る相手がいない私ですが毎年母の日がしんどかったですね。周りの「今年はなに贈る⁇」などの話題は聞こえないふりをしてましたから。しかしカフェなどで年配の母親と中年女性が仲良くおしゃべりしている姿を見かけると死ぬほど羨ましかったのです。もう本当に喉から手が出るほどほしい関係性だった。そうなれるなら自分の持ち物を全部差し出してもいいとさえ思っていたんですよ。
大人になっても母の意向どおりの振る舞いをしないと途端に不機嫌になり罵声を浴びせられるのはしんどいを通り越して縁を切りたいとしか思えませんでしたね。よそのおうちを羨ましがっても仕方ないことでした。
先日もそんなお話を聞く機会があり「危篤の連絡がきたが会いたくない」というものでした。もし会ったら死にゆく親に向かってこれまでいかに苦しかったか罵倒しそうだというのです。罵倒してもほしかった愛は手に入らないですからね。看取りを任せられる身内がいるならお願いする。そしてさきざきの後悔は自分で引き受けるよりないです。
気がかりを抱えたままの月日は自分を静かに蝕んでいきます。解決や和解に至らなくてもちょっとはなせる相手やカウンセリングなど今はさまざまなツールがあることも知っておきましょう。