のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

こたえあわせじゃない旅のガイド

インスタ素材のためのお出かけ

検索やガイドブックでみたとおりの景色やお店を現地で確認しこたえあわせするのがいまどきの旅なんですかね。インフルエンサーの誰々さんが投稿してたから〜とかありますよね。たしかに有名な観光地は誰をも魅了すると思いますが天邪鬼な人もいるものです。

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私の地元は芭蕉も息を呑むほど絶景の日本三景松島、伊達政宗ゆかりの青葉城址、魯迅が留学していた東北大学医学部教室、土井晩翠の居宅跡、片倉小十郎の城跡などなど盛りだくさんなうえ自然にも恵まれ映えスポット満載です。しかしですよ、地元民がかようスーパーや食堂、日帰り温泉などのほうが混雑せず魅力的じゃないですか⁇

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先日美容師さんとおしゃべりしていて考えが一致しました。お土産用にパッケージされたお菓子より現地でしか手に入らないもののほうが価値を感じますしね。そんなわけで私の推しは地元のみで流通している塩とか出汁、せっけんなどが多いですね。もし旅行でくることがあればネットも通じない湯治場とか魚屋さんの賄い食堂や農産物販売所にお連れしますよ(笑)

父の母校と魯迅の階段教室

魯迅の階段教室

父の母校東北大学は旧制帝大で仙台医学専門学校がのちの医学部になりました(父は別の学部)中国の偉大な思想家魯迅が留学していたことは案外知られていないのかな⁇中学時代国語の教科書に「故郷」がのっていたのと父から小説を贈られなんかすごい人らしいと思ってそれきりでした。本によるとバスケットに身の回り品すべてを入れて移動していたらしく元祖ミニマリストかもしれませんね(少ないモノとフットワークの軽さが私のめざす姿です)

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https://www.tohoku.ac.jp/japanese/profile/establishment/01/establishment0108/

↑↑↑ここから予約可

魯迅が学んだ階段教室は現存しており完全予約制で見学できます。指導教官の藤野先生が赤ペン添削したノート(このくだりは有名)や当時の周辺地図や時間割、学業履歴書などもあります。担当の方によれば藤野先生は定年までおらずかつ福井のご出身であわら市耳鼻咽喉科を開業され今は記念館になっているなどはじめて知ることがたくさんありました。

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別棟の東北大学史料館にも魯迅コーナーがありこちらは予約なしで見学でき尋常師範学校から新制大学に至るまでを時系列でみられます。父がこの地で学んだのだなぁと感慨深かったですね。今はハラールフードが食べられるお洒落なカフェやショップもあり日中両方の言葉で書かれた冊子とボールペンを自分用に買いました。

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限界値を知らせるアラーム

自分のことほどわからない

妖怪のような若さの父が突如おかしなことをいいだしこれはただごとじゃない‼︎と要介護5の母を在宅介護しつつ何ヵ所も検査につきそう生活がはじまりました。脳神経外科で血流改善のお薬を処方されヘルパーさんに報告すると「もう1ヵ所行きなさい」とアドバイスされました。しかし物忘れ外来の初診は予約が取りづらく待つあいだも不安でいっぱいでした。

 

400km離れて暮らす私の往復段取りもあり、予定をさっさと組んでしまいたいけれど画像撮影の日程〜読影までまた待たされものごとが進まない苛立ちで鬱々する日が続きました。そのころから胸に砂が詰まったような感覚で空腹を感じなくなり激やせしました。

 

これは疲れからきてるんだから休めば大丈夫、ここを凌げば父の治療と母の介護をヘルパーさんとデイサービスとショートステイを利用しながらやれるはず。と思い込んでいたもののそうはいきませんでしたね。すでに限界値を超えていましたから。友人には昼間から居酒屋に呼び出され「総合病院で検査しなさい。何曜日に行くの⁇行ったらLINEで報告して」ときつく説教され従うことにしました。

 

3ヶ月前に胃カメラしてるのにまた検査して異常なし。そこではじめて機能性ディスペプシアという病名を知りました。特に治療方法が確立しているわけでもなくそれっぽい処方薬で様子見するよりなく泣きそうなほど辛くて苦しい日々がはじまりました。

笑ってあの世へ旅立つために

緩和ケアの重要性

最近でこそ延命治療を望まない人が増えていますがむかしは少しでも生きながらえるよう無理な延命措置をしていましたよね。家族の勝手な判断で延命させられても辛いだけでしょう。危篤状態になってから持ち直すこともあるけれど自然に枯れていくのを邪魔するような点滴とか処置とか意味があるのかな。おそらく成り行きにまかせれば苦しまずむこうの世界へ旅立てると思います。

 

ちなみに母を施設入所させるとき契約事項の面談で容態急変のさいどこまで延命措置をしますか⁇となんども念をおされその場で回答できなかった記憶が。ですが職員さんナースさん共々いまは胃瘻ははやらないといっていましたね(はやりとかあるのか)少し前に親戚が意識がないまま胃瘻にしたうえなんども院内感染し面会にいくのも辛かったものです。

 

緩和ケアで医師をしている友人はこれまでいっさい連絡の取れなかった子供が急に乗り込んできたり、年金を収入に当て込んで生活しているため死なれちゃ困ると騒ぐ家族と対面することも多々あるとはなしていました。死ぬまで揉め事を解決できずに旅立つ側も心残りが多そうだなぁ。この世の宿題をあの世まで繰り越したくないものです。

お悔やみの機会がふえた

友達の親御さんにおわかれ

友達のお父さんのお焼香に行きました。うちとは親戚で父とも友人同士でした。友達とは幼少のころお昼ご飯とお昼寝をはさんで朝から晩まで遊ぶような関係性でとにかく楽しかった記憶が。外遊び、虫とりなど今では考えられないほどアナログで健康的でしたねぇ。地域の素封家で忍者屋敷のような広いおうちには裏階段があり敵がおそってきたら生き延びられるしかけがありました。

 

友達のお母さんが要介護になり15年以上お父さんが在宅でお世話していましたが、自分も通院しながらでうちの父も公的サービスを利用するようたびたび進言していました。結果同じ立場の父が先に突然死してしまったのですが。

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私も両親を見送ったあとの雑務に奔走しなかなかお見舞いにも行けずにいたところ訃報が入りました。最後にお会いしたのは母の49日だったかなぁ。懐かしい茶の間で久しぶりに友達きょうだいとお母さんとお喋りしお昼に出前までとってもらい昔の自分を知る人や場所がたくさんありいかに恵まれているか感謝が湧き上がってきました。