のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

介護帰省のはじまり

母が徘徊で救急搬送されて一命をとりとめてからおよそ一か月後、八月の半ば過ぎに帰省しました。その日が初めてのショートステイ(宿泊の介護サービス)明けで夕方に施設へ迎えに行く段取りだというので、少し早めに到着する新幹線を選びました。その時まで母の担当ケアマネージャーに会ったことがなかったので、施設のスタッフさんが何人いるのかとかそんな情報すら知らずにいました。とにかく徘徊で困っていることや、今後の介護サービスをどのように利用していけばよいか途方に暮れていたので「この人になんとかしてほしい!」と藁をも掴む思いでした。

 

その日は実家近くのバス停まで父が迎えにきてくれて、その足でそのまま携帯電話屋さんにむかいました。父なりに考えてやはり携帯電話を持たないとマズいのではないか?という結論に達したようです。それはついこないだの東日本大震災で固定電話が4日間通じなくて、私や遠くの親戚が災害伝言ダイヤルにメッセージを入れていたのに入っていることも再生のしかたすらも知らず生死がわからなかった経緯もあったのでしょう。母の徘徊で誰かからの連絡を待つ、または自分から連絡したくてもツールがなければどうにもなりません。もう「自分には必要ないですから。関係ありません。」とは言えない状況です。昔から電話代などにうるさい人で「電話で喋るなら手紙を書け」なんて江戸時代みたいなことを平気で言っていましたが、この状況では手紙を書いているうちに徘徊している母が事故に会うかもしれません。携帯電話と共にキッズ用の子機を母に持たせるよりありません。母の徘徊がもたらした思わぬ産物で、ものごとは必ず表裏一体であることの見本みたいなお話です。

 

新しいことを取り入れようとせず、昔の成功体験で「今」を生きようとしても無理です。母の病もテクノロジーも柔軟に受け入れるよりないのです。目の前に起きていることに抗うから齟齬がおきるわけです。「こんなはずじゃなかった」とか「こうなってもらっては困る」とか。それはおよそ自分サイドの勝手な要求や願望だったりします。相手にとっては迷惑千万このうえありません。長いあいだそうやって通してきて、それで私や他の人からも嫌がられていたのに気づく最後のきっかけを与えられたのだと思います。むしろ変化できることはラッキーですらあります。それまで頑なにこだわっていた考えや行動が、状況しだいで意味のないものになり役に立たないのですから。柔軟になることによって受けられる恩恵もあり、これまで知らなかった世界を見ることもできます。「経験値があがる」ともいえます。だから俯瞰すればマイナスばかりではないといえるのではないでしょうか。