のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

孤独死Ⅳ

同年代の似た境遇の友人の身に起きた出来事は他人事ではありません。郷里が離れている、親が高齢で介護を必要としている、実家がゴミ屋敷化している。そのまま私にも当てはまる状況です。彼女はいつも『姉や夫のせいで自分だけが嫌な思いをさせられている』といわんばかりの物言いを無自覚にしているようでしたが、第三者の私からすれば自ら好んでその状況を引き寄せているようにしか見えませんでした。


嫌な思いをする相手との関係性をなぜ絶てないのか。血縁があるからとか、結婚してるからとかではなく、自分の正直な気持ちに不誠実な対応をし損得勘定で判断していることを認めたくないからではないでしょうか。姉を切れば将来の相続で損をするかもしれない、夫と別れれば羨ましがられる生活を捨てなければならない。いずれも根底にあるのは変化をしたくない、今の生活を手放したくない『執着』でしかないだろうに、彼女は『これだけ嫌な思いをして頑張っているのに相応しい見返りや承認がない』と取れる主張を繰り返し、自分が要した労力や払った犠牲のリターンを求めているように見えました。果たして嫌なことを我慢した結果ご褒美はあるのでしょうか?大切に扱わなければならない自分自身を疎かにして、正直な気持ちや心をごまかして周囲に愚痴るばかりの生活の先に何があるのでしょうか?


きょうだいだろうが配偶者だろうが人間関係はなまもので、『このまま』『ずっと』なんてありえないでしょう。と私もなかなか割りきれないけれど、自分も相手も変化していくのが『常』なのだし『こうであってほしい』は身勝手で一方的な要求でしかないのだと、そろそろ自覚できないと辛くなるばかりです。


私は彼女の愚痴箱になるのをやめて(お父様の残念な亡くなりかた、最期に立ち会えず看取りもできなかった件に関しては共感するけれど)これらのことが示唆するものはなんなのか?我が身に置き換えて具体的に考えるようになりました。そして頭の中で考えるだけではなく、実行に移していきました。