のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

介護者仲間の存在

地元の交流会や首都圏のケアラーズカフェに顔を出すうちに、置かれた状況は違えど介護者(ケアラーズ)仲間ができました。やはり認知症について気軽に話せる、愚痴や文句もわかり合える関係性というのは格別です。それぞれが実親だったり、義理親だったり、祖父母や子供のいない伯父伯母の介護に携わっているので、医療機関との連携方法や介護施設に対しての不満だったり満足度だったり共通の話題にことかきません。

 

私は県外に遠距離介護で通っていて近くのケアラーさんとは自治体が異なるので、行政サービスでの格差を感じることがたびたびありました。首都圏でも介護福祉に力を注いでいる自治体は、恵まれたサービス提供をしていて羨ましく感じることも多々ありました。私の住む自治体だと、整骨院でのマッサージのクーポン券や介護タクシーの利用券などの助成があっていいなぁ・・・なんて思っていました。

 

しかしものごとは常に表裏一体で、その為に住民税が高かったり特養や老健などの待機が300人とか入所が難しい状況です。住み慣れた街での入所はどうやら難しそうです。誰しも急に環境が変わるのを好みませんし、まして入所となれば心細いですからできることなら自宅に近く家族が面会に来やすい場所を希望するのではないでしょうか。待機人数もだぶって申し込みできたりするので、実際のところは不透明です。けれど母がお世話になっている施設で一応入所申し込みをしたら、待機の順番が今何番目ですよと教えてくれたり(わりと上位なので急な用事などでも対応してもらえる)田舎だからか良心的な対応で助かっています。

 

今月初めにケアラー仲間の一人が介護を卒業しました。同じケアラーズカフェで勉強会やイベントを楽しみながら交流会に出席したり、遠距離で孤独になりがちな私のよい友人です。介護を真摯に捉え、掛かりつけ歯科で口腔衛生の勉強をして資格まで取得しました。被介護者しか家族がおらず、その方の存在が心の拠り所だったのだと思います。技術専門職でしたが夜の面会時間に間に合わなかったりするので、自宅近くの企業に転職までして毎週土曜日は施設へ洗濯物を引き取りに行き、洗い立てのものと交換していました。

 

私にはできないな・・・本当によくやっていました。夏に熱中症で気分が悪くなり、駅のベンチで一時間も寝ていたこともありました。仕事を終えて帰宅すれば一人、家事や毎週の洗濯物、介護の勉強もしていました。ちゃんと気晴らしできてるかな?自分を労わってるかな?と気になりつつ私も自分の遠距離介護で手いっぱいでした。

 

今年に入ってから被介護者の方が救急搬送されて、介護施設から医療施設へ転院したりその煩雑な事務手続きも一人でこなしていました。「自分を犠牲にしてないだろうか」SNSの投稿を見ながら案じていました。経管栄養の次の段階をどうするかというところまで把握していましたが、共通の友人からその方が亡くなったと連絡を受けました。共通の友人がケアラー代表でお通夜に参列してくれたので、私からもお悔やみを伝えてほしいとことづてしました。本人宛てには手伝えることがあれば気軽に言ってほしいと連絡入れましたが、おそらく手伝ってほしいとは言ってこないでしょう。49日過ぎて一段落ついたら友人達で偲ぶ会を開こうと計画しています。

 

まだしばらくは葬儀関連、介護や医療施設へ挨拶回りや最終支払いなどで多忙だと思います。役所への届け出もあるし、様々な書類のやり取りもあるでしょう。しかし介護ロスという言葉もあるように、たった一人の身内を亡くした喪失感はなかなか拭えないと思います。ケアラーを卒業した後には未来がありその先をどう生きるかは人それぞれで、私はこれまでと同じ立場ではなくなります。まだ先のことはとても考えられないでしょうが、貴重な体験をこれからの人にシェアしてほしいし、ずっとできなかった誰にも遠慮のいらない自由な時間を存分に楽しんでほしいとも思います。