3日前の夜に実家の父が、就寝前の母のオムツ替えをしていたところ、なにかの弾みで母がバランスを崩し転倒し、頭も腰も強打したそうです。音の大きさにびっくりしましたがすぐに身体中を点検、呼びかけや質問にも反応がありほっとして父は涙が出たそうです。翌朝のデイサービスにも母はご機嫌で出掛けたそうです。
送迎スタッフさんには経緯を説明し、入浴時なにか異変に気づいたら対応してくれるよう話しておきました。送迎車が来たときに、ちょうど貸し衣装店の叔母がいいタイミングでゴムを入れ替えたズボンを持ってきてくれて、叔母に話す手間が省けました。
そんなことで無事ではあったものの、父は転倒させてしまったショックと私に怒られるんじゃないかと思いなかなかメールが打てなくて、いつもの時間に送信できず心配になった私が電話をかけたらこのような次第でした。
別に私は怒るなんてしませんよ(笑)ゴミ屋敷には怒り狂うけれど、それ以外は一人でやってくれてる父には感謝してるので、ミスや手違いを責めるなんてしません。
無事でほっとして涙が出てきた、はそれが本音なんですね。いうことを聞いてくれない、食事介助が面倒くさい、すべての行動に介助が必要で手間がかかる、そして自分の自由時間がなくなる、尽くしてるわりに張り合いがない。これらも本音です。
どちらの気持ちも混在しながら、目の前の母が気分よく暮らせるようにお手伝いさせてもらってるといえば聞こえはいいですが、介護者にだって気分の波やコンディションの良しあしもあります。
急いでいるときに限って失禁や転倒するので、その対応に追われてやれやれとほっとしたときに用事や約束や通院予約を思い出し、なんかもういいやという投げやりな気持ちになることも多々あります。
なので介護者こそなににも囚われない自由な時間を持つ必要があります。そうでないといつも気が休まらないストレスフルな生活はメンタルが病んでいきます。
父は田舎の車社会の中でカフェに立ち寄り目的もなくぶらつくなどできませんから、家の畑作業で汗を流し、週三回の昼食宅配のボランティアさんとお喋りし、貸し衣装店の叔母夫婦がしょっちゅう立ち寄りしてくれるので気晴らしはできてるかと思います。
介護と無関係な時間を敢えて作るのも、よい介護に繋がると思います。