序の舞
などの作品で有名な女流画家の上村松園さんに憧れていた母は、絵も文字も本当に綺麗でした。美大に入りたかったそうですが、「絵描きで食べていけるわけない」という祖母の一声で諦めました。
もしその道に進んでいたらどうなっていたでしょうね。たらればの話ですが、私は存在してませんね(笑)
50代に入ってから少しだけ自分の時間を持てるようになり、祖父母の介護の合間に日本画教室に通ったりしていました。
けれどいつも帰宅時間に追われているようでした。「自分が不在のあいだになにかあったらどうしよう」と。
習い事に出掛ける当然の権利行使をしてるのだから、そのあいだに自立度の高い祖父母になにかあってもそれはしかたないことです。
介護は自由を失うことではないのですね。なので自分を理解してもらうための努力が必要です。
けれど周りに事情を話して、自分のしたい事の為に周到な根回しするって「そこまでしなきゃならないの?」と思う人もいるでしょう。
はい、場合によってはそこまでしなきゃなりません。なので色々考えてるうちに面倒になって「もういいや」となることもあります。
なのでそこまでしたいかどうかを炙り出すリトマス試験紙と考えたらいいですね。
自由度が高い時は制約がないから、これを逃しても次があると思えます。
でもここを逃したらもう次はないな、の環境下で生活しているといつも試されるような状況を突きつけられます。
なんとしてもチャンスを活かしたくて隙間時間を捻出した母は、しばらくのあいだ制作に没頭することができました。