多くのものを与えられている
スマホで他人の羨ましくみえる部分ばかり可視化される時代になりしなくてよい比較癖がついてしまったかもしれません。むかしなら芸能人や著名人の「つくられた世界観」をなかば本気にして一般人とはなにもかもちがうのだと思わされたけれど、個人チャンネルの開設やインスタなどでもはや一般人のほうへ彼らがおりてきてる感すらあります。
他人の生活をみて「あ〜そうなの」で流せずなにか引っかかるならなぜそう感じるのか己に問うしかないですね。贅沢より人目を気にせず暮らせるとかそちらのほうが豊かなんじゃないかな。目撃談を書き込まれたりしない自由な生活は伸び伸びできて気楽ですよね。私は地方と都会の2拠点暮らしをながくしていますが、育った地域は閉鎖的でどこのだれがどうしたこうしたの話題が年中聞こえてくるような環境でした。あれこれいわれるのが嫌だといいつつ一生そこにいる人たちの気持ちがまるでわかりませんでしたね。主宰するピアノ教室の鍵盤交換してもらいました↓

しかしその過干渉な環境がある意味セーフティーネットになっていたのを大人になって理解しました。うまくつきあえば困りごともスムーズに解決できるし孤独死だって防げます。ただそのコミュニティからも取りこぼされた人を掬い上げるものは残念ながらないようです。私は母の遠距離介護に10年かよったことで周囲の方々との接点が深まり、主宰するピアノ教室の講師さんや出入りの業者さんなど多くの人々と時間を共有することで2拠点暮らしを実現できています。恵まれた状況は自分の力ではないことをつらつら思う年の瀬です。