のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

満蒙開拓団

父の従兄弟(祖母の妹の子)の菅原氏が戦後満州から引き上げてきて、しばらく我が家で暮らしていました。

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どうして一家が大陸に渡ったのか経緯を知らずにいましたが、仏壇に菅原氏が執筆した書籍があったので読んでみることにしました。

 

父の名前が満州にちなんでいることや、偶然にも私の名前が満州鉄道の釜山~新京間を走る急行列車と同じなことから興味はありました。

 

菅原氏の父親が大陸での成功を夢見て、当時の国策に翻弄され現地人の耕作地を強奪同然で入植したということ。それで恨みを買うのは当然ですね。

 

日本の敗戦を知らされず関東軍も助けに来なかった為、日本からも中国からも見放されソ連軍が侵攻してきて開拓団の人々は棄民となったこと。

 

国家から見棄てられた菅原氏は、どこからも正確な情報も指示もなく、親ともはぐれ幼い弟妹を連れて怪しい商売をしながら発疹チブスに感染し、命からがら葫蘆島からようやく佐世保へ辿り着いたそうです。

 

途中で何度も集団自決のシーンを目撃したり、仲間を荼毘にふしたり、焼け焦げた広島の街を見てショックを受けたり。

 

ボロボロの身なりで仙台駅から私の家に着いたのが昭和21年6月13日。

 

私の曽祖母、祖父母、父に温かく迎え入れられ、父とはきょうだい同然に育ちました。

 

この恩は生きている限り忘れない、と著書にありますが、その言葉通り毎年時候の挨拶を亡くなるまで欠かさない人でした。

 

大陸ではオオカミに襲われたり、せっかくの収穫物を失ったり、現地人に優しくされたり、目まぐるしい日常が記述されています。

 

続きはまたそのうち投稿するかもしれません。