四半世紀ほど前に、愛新覚羅溥傑氏(ラストエンペラーの実弟)の奥様である嵯峨侯爵令嬢浩(ひろ)さんの自叙伝を読みました。
当時、映画ラストエンペラーが公開され紫禁城の中の生活に注目が集まっていました。その三年前に天安門事件もあり中国に大きなうねりが起きていました。
日中の国交が正常化したのは私が幼稚園の頃で、それまでずっと自由に行き来ができなかったんですね。
戦後浩さんは2人の娘さんと日本で暮らし、溥傑さんとは離れ離れでした。国交がないので会いに行けなかったんですね。
ある日、娘さんの1人が交際中の男性と天城山で亡くなります。結婚を反対された若い2人が無理心中したのではないか?などの憶測も飛んだようです。
私の父はこのセンセーショナルな事件を覚えていました。
もう1人の娘さんが、当時の国家主席周恩来にお父さんに会いたいと手紙を書きます。これが日中国交正常化に繋がったともいわれています。歴史が大きく動きました。
浩さんは娘さんの遺骨を持って北京で溥傑さんと再会します。「このようなことになり申し訳ありません」と泣き崩れる浩さんに「あなたは悪くないんだ」と溥傑さんは寄り添います。
もうこのくだりで号泣ですね。
30年近く離ればなれで今のようにネットもスマホも国交すらない状態でお互いを思いやれる、信じられるってすごいことですね。
お二人は激動の時代を過ごしたあと、北京での穏やかな生活を楽しみこの世を去ります。
先日、久しぶりに稲毛の愛新覚羅邸を訪れ書家でもあった溥傑さんの「笑顔常楽」の書を目にして、初めて本を読んでからすでに四半世紀の時が過ぎたのを改めて思い出しました。