急に目の前からいなくなるなど予想だにしていませんでした。
いつかお別れの日がくるにせよ、段階を踏んでその時を迎えるものと思い込んでいました。
だんだんと覚悟ができていくと思っていたのに。
そもそも同年代の人に比べて異様な若さと回転の速さで、高齢者であっても老人だと思ったことは一度もありません。
8020運動で表彰しましょうか?と掛かりつけ歯科医にいわれていて、生涯自分の歯で食事していました。
最近の芸能人にも詳しく、クラシックを好みフルートを習っていました。
読書好きで蔵書は1000冊あったと思います。地震で危険なので私がすべて処分しましたが。
晩年は認知症の母の在宅介護で、相手にこうであってほしいという思考の間違いをことごとく突きつけられ、生きていてくれさえすればそれでいい、というところまで変化しました。
私としてはとても嬉しい変化でした。
そして私に有難うという言葉をかけるようになりました。
認知症はそれまでの生活や価値観が崩壊するような出来事ですが、引き換えに得るものもあり物事の多面性を改めて再認識しました。
それは父も私も同じでした。
いつも父が寝室へ行く前に「今日もお疲れ様」とその日のお互いの介護をねぎらっていました。
姿はなくなってしまったけれど、いつも一緒にいる感覚があり自分でも不思議ですが心の中で生き続けているのは間違いないようです。