バタバタの葬儀関連の手続きをしながら多くの人と話す機会があり、やはり皆さん実家やきょうだいになにかしら抱えているものなのだと感じました。
10年近く行き来していなくて、親が病に倒れたことがきっかけで和解のチャンスを手にした人など、私と似たような境遇の人もいるものなのです。
わかりあえないものをどうにかしようとすればするほど泥沼にはまっていく気がします。
親側は「こうあってほしい。こうでなければ世間に顔向けできない」など勝手なルールに縛られてそれなりに苦しいようですが、自らが作り出した苦悩でしかありません。
子側は「なぜ生き方を押し付けられるのだろう?自分に自由はないのだろうか」という葛藤から、話し合っても落とし所を見つけられず疎遠になってしまうようです。
だからもうこのまま、なにかが起きるまでは敢えて触れずにおこう、しかしうまくいっている家庭の話を聞くたび心穏やかではいられず、常に気の晴れることはないという日々を選ぶことになります。
というよりそれしか方法はないわけで。
解決策があるわけではないので、何年も苦しさを抱えながら生活するのはかなりのストレスと思います。
私自身の経験から、母が認知症になったことは最後通牒ともいうべきチャンスだったと思います。
もうこうであってほしいを押し付けられることもなくなった。お互いに歳を取った。
水に流すなどという安っぽい表現はしたくないのですが、もうその状況では昔のことなどどうでもよくなるものです。
今、ここ、に照準を合わせた暮らし方をデザインしていけばいいだけで、あの時のあれやこれやなど吹っ飛んでしまいます。
生きているうちに和解のチャンスを拾った私には、はじめから与えられていたコミュニティや他力をなぞっていくだけでゴールへ辿り着ける筋書きが仕込まれていました。
それに気づかず何年も必要のないアイテム探しやレベルアップに取り組み、チームを活かす発想すらなく難攻不落のクエストに四苦八苦していました。
と、今ならわかるんですよ、今ならね。
同じような境遇の人も多いかと思います。仲良し家族なんて幻想ですから、そんなに思い煩う必要ないですよ。
適当に受け流しているうちになにかが起きるかもしれないし、起きないかもしれません。
誰にもわからないんですよ。