亡き人の足跡を辿る小さな旅。
たとえば暮らしていた場所、行きつけのお店、所属コミュニティへ行ってみる、お付き合いのあった人に直接会ってはなす。
これらは形式的なお墓参りや法要などよりよほど供養になると思います。
現実的には難しいですけれどね。
立派なお墓や仏壇を用意するよりもご先祖様とより近くいられると思うのですが。
私は父が毎年お仲間と集まっていたお店をときどき訪れています。
大将も女将さんも若い頃の父をよく知っていて、そこへ行くと肉体はなくなってしまったけれど父がそばにいることを実感できるのです。
年度末の忙しい時期に集まり私にだって都合があるのに無事帰宅できるか?とか浴室で溺水してないか?など心配するぐらいならとわざわざ帰省しお店まで送迎していました。
日程調整できないのかな。
頭の凝り固まった高齢者の集まりですからね、時期やお店を変更するなど変化に対応できません。
私はしぶしぶ毎年その時期に合わせて帰省していましたが、今思えばこんなに素晴らしい体験はなかったかもしれません。
春先に訪問すれば「のぞみちゃん、昨日取ってきたから山菜持っていがいん」とワラビを持たされ、夕飯用に揚げた子蟹を包んでくれたりいつも良くしていただきます。
あれ、こんなに幸せでいいのかな。
日程を合わせるのがやや苦痛でこの行事はいつまで続くのだろうと思っていましたが、父が旅立ったことで集まりは解散しました。
みんな高齢でかつ自分や連れ合いの健康状態が思わしくなくなってきたからです。
後日代表の方から商品券が届きお花を買って仏壇に供えました。
「パパ、皆さんからのお花だよ、よかったね」
きっと喜んでるはず、と私なりに勝手な解釈をしています。