実家は臨済宗寺院の檀家で先祖代々が祀られています。
よそのお宅のお参りをしたときささやかな供物やお花をあげるのですが、誰がきたのかわかるよう名刺や名前のハンコを押したカードを置いていく習わしがあります。
今回のお彼岸も私より先に檀家仲間のMさんが来てくれていたので、これまではお会いしたとき挨拶するだけでしたが電話してみました。
電話嫌いの私はかけるのもかかってくるのも避けていますが、同級生のお父様でもあるのでお礼をしたい気持ちがありました。
(住まいも近く両親の葬儀に参列してくれました。檀家総代なども務め地域のために動いてくれる方です)
いつもすみません〜と話し無縁有縁の仏様にお花をあげてくれていたお礼を述べました。俺じゃないよ、といってましたが照れ隠しだと思われます。
これまで私が同じ檀家さんのお墓をお参りしたことはなく(相次いで両親が亡くなったため余裕0でした)してもらうばかりで恐縮しています。
今回もお彼岸まえに帰省できない私のために近所の叔母が雑草刈りと掃除をして供花の手配までしてくれていました。
お陰で花を買いにいかずに仏壇と墓前にお花を供えることができました。
多くの人に手をかけてもらいご先祖様とともに生かされているのを感じます。
この感覚は年を追うごとに強くなり守られていると思っています。
勘違いでもいいんです。