大叔父が満洲から引き揚げてきたこともあってラストエンペラーに興味を持ち、映画や書籍、おとうと溥傑さんのご自宅へ伺ったり、自分の名前が満洲鉄道の快速列車と同じだったり勝手にご縁を感じていました。
父は満州事変の翌年うまれで祖父がなぜか満洲にちなんだ名前をつけました。
私が教わっている中国語の先生は満洲帝国の一部だった遼寧省のご出身で、おじいさまが満蒙開拓団で日本から移住された方でした。
私の大叔父の書籍が長野県の阿智村にある満蒙開拓平和記念館に展示されていると、このブログの読者さんから連絡をもらいました。
バラバラのピースを集めていった先になにがあるのかな?
先日ラストエンペラー愛新覚羅家の末裔の方とお会いし、素晴らしいピアノ演奏を聴かせていただき中国茶をご馳走になりました。
日頃わざわざ出自や満州族であることを喋ることはなく、普通に生活されているとか。
暗く未来の見えない文化大革命の頃、芸術や知識から遠ざかる生活を余儀なくされていたけれど、今はピアノコンクールでも中国の方が入賞されたり、毛沢東の奥様が好きだった京劇が保護されていたなど興味深いお話が聞けました。
ピアノもお茶も楽しめたらいいのよ、とはなしておられ「きっちりルールを守る」ことを良しとしている日本とは異なる価値観なようです。
ご自身も東京大学で文化大革命の研究をされているそうですが、政府の所有する一級資料に触れられるはずもなく真実にアプローチするのはなかなか難しいようです。
質疑応答の時間があり「江青夫人が獄中自殺したのは本当ですか?」とかなり下世話な質問をしたところ「本当のところはわからない」という答えでした。そりゃそうでしょう。
次回お会いできるなら男装の麗人川島芳子氏のお話を聞こうかと思っています。