母の命日が近づいてきました。
大きな出来事があった日
その日が近づくとなにかしらザワザワしたりするのを記念日反応というらしいですね。
私の場合やたら幼少期の記憶が蘇ってきて、なんだかいつも不安で心細かったのを思い出します。
幼少期はいつも寂しくて不安
もちろん楽しい思い出もたくさんありましたが、どちらかというと本音をはなせず寂しかった時間が長かったのでした。
多忙な母は友人もおらず周りにいい顔をしてストレスの捌け口もなく、私はとにかく怒らせないようお行儀よくいい子でいることに専念していました。
条件付きの愛は苦しかった
それでも虫の居所が悪いと不機嫌になって無視され、自分の都合でおかしな可愛がり方をしたり情緒不安定だったのでした。
友達の家に遊びにいくと「無条件で愛されている」のを体感し羨ましすぎて言葉を失いました。
当時の私はそれを親に伝えるすべがなく〇〇ちゃんちはいいなぁ〜と憧れるだけでした。
今なら母の立場も感情もそれなりに理解できますがね、やっぱりいい子(母にとって都合のいい子)でなければ可愛がられない条件付きの愛は苦しいものでした。
介護で親子関係を総括できたのか
そこから当たり障りのない関係性で数年やり過ごし、一方的な要求に嫌気がさしてしばらく音信不通になりました。
数年後思いもよらない形で再会するとアルツハイマーを発症していました。
私を呼び寄せるために病気になったのでしょうかね。
悔いなく見送るチャンスを与えられた
寂しいという非常に身勝手な感情で私をどこまでも支配しようとするあまり選んだのは脳の病でした。
と解釈していますがそこに至るまでに父との関係性に辟易していたり、長男の嫁として責任だけ押し付けられ自由がなかったなどの要因もありました。
結果的に10年間遠距離介護にかよい、確執やいさかいという土俵から母が降りたことにより和解と安っぽい親孝行のような形で決着がつきました。