自信はどこに宿るのか
またダイアログの会に参加しました。今回のお題は自らを信じるとはどういうことなのか。
得意≒自信
得意なことがあれば自信がもてるのか。でもそれは他者評価で得られるもので身につけさせられた感があります。
しかも他者からの評価は揺らぎやすく頼りないものです。
例えば演奏が好きでも上手くなければいけない、そこに合わせて向上心を持たないと自信にならないなど。
どんなとき自信を感じるか
一例として火起こしできたときというのがあり、生きるための火を自分の手で作り出せたことは自信に繋がりそうですね。
それはやったことのない事ができた瞬間ですね。
自転車に乗れるようになった、ひとりで遠くへ出掛けられるようになった、拙い外国語が通じたなども当てはまります。
他者評価を剥がす作業
こう思われたいとか抜きで楽しめてるか、納得できてるかも重要ですね。集まったメンバーの中にADHDで「約束時刻を守れない」という綺麗な女性がいましたが、社会生活の中で誰かにしわ寄せがいかなければ個性の一つかもしれません。
今はなんでも病に仕立ててしまいがちで、悪気なくルールを守れない人にとっては窮屈な世の中です。
かくいう私も社会人になるまでは顧客への連絡や休暇の引き継ぎなど自分本位な判断でやったりやらなかったり適当すぎる性格でしたが無理やり矯正され現在に至ります。
当時は社会人として当然のことがちょっとできただけで不思議な自信になったのですから、やはりできなかったことができたとき自分を信じられるようです。