9年前の生活
宮城県の実家はアルツハイマー型認知症で要介護2の母とその母を介護をする父の2人暮らしでした。老々介護です。
母は軽い物忘れがありましたが受け答えや意思表示はできて簡単な家事はやれていました。いつもニコニコしているためぱっと見認知症とはわかりません。主治医になんど勧められてもデイサービスに行くことを「父が」拒んだため、記憶が薄れていくのを放置している状態でした。
実家はゴミ屋敷
足の踏み場もない室内で老人2人が暮らしていましたから危険極まりないものでした。しかし何十年も溜め込んだゴミガラクタを処分する気力も時間もありません。
2人とも携帯すら持たず、就寝前に固定電話を電源から抜くというありえないことをしていました。連絡をとりたくても無理ですよね。「自分には必要ないから」がお決まりのフレーズです。
3.11は転機
周囲に母が認知症であることを隠し通し連絡手段も持たずやり過ごせるとでも思っていたのか、老人の浅知恵には辟易しますが聞く耳持たずですからね。仕方ありません。
地元の友人の携帯にかけて親の様子を見に行ってもらい生存確認し、震災から4日後に固定電話が繋がったと記憶しています。
その後、定期的に実家の片付けと母の介護に通った体験から今を楽しんで生きることと身じまいの大切さを機会あるごとに発信しています。