中国残留孤児たちのリアル
戦後満洲(日本が中国東北部に建国した国。知らない人は映画ラストエンペラーを観てね)
で関東軍に置き去りにされた日本人の子供たちは現地の中国人夫婦などに引き取られ暮らしていましたが、やはり祖国の両親やきょうだいに会いたいとの思いで帰国する人も多くなりました。
言葉の壁と差別
戦争被害者である彼らはなんの落ち度もないのに言葉がわからないことで差別され、定職につくことも難しく引きこもりがちな人も多いのだそうです。
先日のドキュメンタリー映画の会場で残留孤児だった85歳の女性が苦労の末日本語を習得し同じ境遇の人々の医療通訳をしていたと教えてくれました。
非常に明朗・闊達でインテリジェンスあふれる方でした。「いい医者ばかりじゃないよ、わからない言葉は街で知らない人に訊ねて学んだ」と。皿洗いなどしながらご主人が起こした会社を手伝いつつ通訳ボランティアを75歳まで続けていたとのこと。
身体の不調を説明できなければ適切な医療も受けられない。せっかく祖国に帰ってきても不安しかないですよね。そんな仲間たちを支えてきたそうです。医療機関での仕事は予約時間に合わせて行かなければならないなど自身のコンディション問題もあったそうです。
一緒にカメラに収まり(85歳でiPhoneを使っていました)「また会いましょう」といって別れましたが、終始生きるエネルギーの高さを感じる女性でした。