私がいわせてるのか⁇
年齢を重ねるのは経験値を積むとほぼ同義語かと思いますが、人それぞれなにが嫌で負担かは異なります。
私は柔軟性のない人や環境と接点を持つのが嫌でなるべく避けていますが近くにそういう人がいたりします。
面倒な人は面倒なことをいってくるものでまじめな私は(笑)まともに取り合っていましたが聞く必要のない話に耳を貸していたことに気づきました。
その人は未完了な思いをなにを勘違いしたのか私で完了させようとしていたようです、しかも無自覚に。いい迷惑です。相手は誰でもいいんですから(幼少期寂しかったとか安らげない家庭だったとかの内容)
ここに気づかないと自分が聞いてあげないからこの人は苦しいんだ、などと可哀想がったりおかしな方向にもっていかれますよね。
セラピーでも医療機関でもその人に合う方法で楽に生きられればいいなと思いますが提案することはありません。それこそ「その人の問題」だからです。
ちなみに私自身もずっとベビーシッターさんに預けられていて母に家にいてほしいとお願いしても「生活できないから」と反論の余地のない返事で終わりましたね。
振り返れば多忙の合間を縫って周りの友達が誰も着ていないような服をたびたび買ってきてくれたり母なりに愛してくれていたんですね。私のほしかったものではなかったんですが。
当時の母の年齢をとうに超えてその時々精一杯生きていたのは充分すぎるほど理解できます。してほしかったことは山のようにありますが10年介護して母自身がとても寂しかったこともわかりました。
未完了な人も自分を癒せるツールを見つけて解決できるといいですよねぇ。