のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

周回遅れのしあわせ

それは本当の願いなのか

よく適齢期(イマドキいうのか)を逃しても最終的にはよい伴侶と出会い家庭を築いてめでたしめでたし、みたいなおはなしを聞くとなんだかなぁと思ってしまうのは私が歪んでるからですかね。生身の人同士がいっしょになってなんの障害もすれ違いも起きないとかありうるんですか。それこそそんな都合のいいことがあるのかと。

 

そもそも他人同士、波長の合う部分も嫌だと感じる部分も両方あるはずです。私は昔から家族とさえいっしょにいるのが苦痛で正直いうと私の伸びやかな感覚をいつも阻害してくる存在と捉えていました。両親共働きで多忙なうえ面倒なトラブルを未然に防ぐことに注力していたのだろうと思いますが、とにかく少しでも余計なことに関心を持ってほしくなくて自分たちの描くとおりに誘導しようとする人たちでした。そんな経緯もあり本音をはなさなくなっていきました。

f:id:nozosan-net:20220612102110j:image

今さらですが私は自分の楽しみを他人とシェアしたいなどと微塵も思っていないことに気づき、昔ならおかしな変わった人扱いかもしれませんが時代のおかげかそういう人でも市民権をえて生きられるようになり助かっています。昔の人がよしとしていた価値観のレールに乗らなくても楽しく生きることを選べ、なにかを我慢するとか意見を擦り合わせるとか無駄な労力で消耗しなくて済むようになりました。