うまくいってる家庭ばかりじゃない
介護がはじまるとまとめ役の人を中心に離れて暮らす人もなにかしら協力するようになります。家族構成や関係性にもよりますがうまくいってるおうちばかりじゃないですよ。表向きのはなしだけでよそのおたくを羨む必要はありません。さいわい私は実母の介護を父とやっていたのでいわゆる外野の存在がなく楽だったかもしれないですね。
姑の介護をする嫁立場の人のご苦労は想像の域を出ません。母がまさにそうでしたが当時の気持ちはまったく理解できなかったですね。舅姑の介護の愚痴をはなせるのは私だけでしたが右から左でした。もう自分のことで精一杯。いつも余裕がなく超利己的でしたから。聞いてあげてたらどうなってたかはわからないですけど。
数年後認知症になった母の介護をするようになるとは夢にも思いませんからね。当時の母の気持ちが少しは体感できた気がしますが実母と姑は違います。父と私のあうんの呼吸で遠距離介護とゴミ屋敷片付けをすすめバリアフリー住宅に改修しました。たったひとりのきょうだいは「母に虐待されたことを恨んでいる」といっていちども面会にきませんでした。にもかかわらず相続時には当然のように権利を主張してきて漫画みたいで笑えました。
それを見越して父が裁判所で公正証書遺言をつくってくれていました。内容に不服だったようで自分が被害者であることを汚い字で何通も書いて送ってこられてこじらせは周囲の人にも迷惑だとわかりました。いま親御さんとうまくいってない人は意思の疎通があるうちに和解なり解決なりしておいたほうが自分のためですよ。介護もせず遺産相続で揉めても得るものなどないですし病気の親を見捨てた疾しさはどこまでもついてまわります。