のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

様々な人が見守りしてくれる幸せ

父の体調不良を、近所の叔母や掛かりつけ薬剤師さんや出張フルートの先生が気にかけて見に来てくれます。

 f:id:nozosan-net:20170429172407j:image

ウチはピアノ教室をやっているので、生徒さんにもLINEで見守りをお願いしました。

 

他に訪問ヘルパーさんを隔日に頼んで、昼食配達さんも週3日来るので、必ず誰か第三者の目があります。

 

フルートの先生は父の様子をわざわざ電話で報告してくれました。演奏する回路が繋がってきたようですよとの事。有難い。

 

叔母夫婦は昼間山菜取りに行き、夕方揚げたての天ぷらにして届けてくれました。

 

父はメールの打ち方も思い出して帯状疱疹という変換までできるようになりました。

 

私は一度千葉の自宅に戻り、再度着替えを用意してまた仙台へ向かうことにしました。

 

実は私も体調不良で、地元の植物にかぶれたようで皮膚科受診をしました。ずっと通っているクリニックで初めて遠距離介護の話をすると、ドクターが私の肩甲骨の痛みに思いがけないアドバイスをくれました。

 

えええっ‼︎その手があったか。6年にも及ぶドクターショッピングの末、保険診療の限界を感じていた私に光明が差したようです。

 

但しまだその方法を試していないので、連休明け検診との兼ね合いを見ながらトライしてみます。ちょっと楽しみ。

 

 

通いのヘルパーさんをお願いしました

介護保健の限度額をとうに超えていますが、ケアラー(介護者)である父の健康不安を感じて家事支援や通院の身体介助をお願いすることにしました。

 f:id:nozosan-net:20170428094555j:image

まずは母の歯科通院のお手伝いをお願いし、私が不在時の父の夕飯の支度を契約しました。

 

長年の介護疲れの体調不良で調理の意欲をなくした父の食生活が心配なので、出来合いの惣菜ではなく手作りの味を提供してもらえます。

 

お試し日に畑から採って来て放置していた人参と長ネギで、卵と人参炒り・ネギとカニカマの酢味噌和えをパパッと作ってくれました。すごいアレンジ能力‼︎

 

私など昼間、役所や施設の人とお話しして手続きするだけで疲労困憊で、帰宅後料理する気力も残っていません。なので本当に助かるのです。

 

そして一昨年、絶妙のタイミングでバリアフリーにリフォームしていたことにより動きやすいキッチンになっており、食器や調理器具も精鋭だけに絞っていたので使いやすいとお褒め戴きました。

 

いずれ人に来てもらう為にイマできること

 

というので少しずつ前倒しでやってきて、当時は現場監督との打ち合わせの為に帰省するのがしんどかったけれどやっていて本当に良かった‼︎と思う瞬間でした。

父の言動までおかしくなって

妖怪のような若さの父が、ある日突然メールの打ち方を忘れ、車のバッテリー上がりに対応できなくなり、洗濯機の使い方に戸惑うようになりました。

 

あれ?これってもしかして母の時と同じかもしれない・・・

 

電話すると頭がゴチャゴチャしてぼんやりするとのことです。

 

その場にぴったりの切り返しができていたのに、最適な表現を選べない、すぐに単語が出てこない。それに苛立つ。

 

急に心細くなった私はショートステイ中の母の面会に行き「もしかしたら、パパもママと同じ病気かもしれない。どうしよう⁉︎」と半泣きで相談しましたが、母はこれといった反応をせず更に心細くなるばかりでした。

 

すぐにケアマネに連絡し今後の対応策を練りました。目の眩しさは緑内障のせいではなくアレルギーで、普段と明らかに様子が違いますと眼科医に言われました。その場ですぐ脳神経外科に予約を入れ、午後イチでMRI撮影しました。

 

新し目の小さな脳梗塞が見つかりましたが、言語に支障をきたすほどのものではないそうで、採血し血流をよくするお薬を処方されました。帯状疱疹の跡を後頭部に見つけ、それが悪さしてる可能性もあるとの事。

 

ここまでのあいだわずか4日でした。薬剤師の友人、ケアマネ、ご両親を介護されてる友人、介護サービス会社さんなど、多くの人に相談しました。

 

緊急性の高い疾患は見つかりませんでしたが、週明け物忘れ外来も受診する手はずを整えました。 

 

今回の帰省は周囲の人をフルに頼りましたが、それでもヘトヘトです。

 

泣きたくなるほどの不安

これまできちんとしていたからこそ、認知症で親が壊れていくのを見るのはただただ不安です。

 

知識としては知っていても、実際目の前の親がおかしな言動・行動を取ると未来を悲観してしまいます。

 

メディアでは上手くいっている例より、大変で悲惨でしんどいイメージばかり報道しますし、どんな対応があってどこに相談すればいいのか教えてもらえる機会はあまりありません。

 

ある日突然始まった介護に右往左往して、しなくてもいい手間をかけて疲弊・消耗する例をたくさん見聞きしてきました。

 

まずは相手の変化を受け入れる素地が自分にないと、次々起きる症状に振り回されてヘトヘトになります。

 

あんなにしっかりしていたのに失禁したり、徘徊したり、激昂したりがショックで受け入れられません。そして眠れなくて周囲に理解してくれる人を見つけられなくて泣きそうになります。

 

認知症の人には優しい言葉がけをして状況を受け入れましょうなんて、教科書通りにはいきません。

 

私は多くの人に話を聞いてもらえる場を捜しましたが、話せる相手を見つけてもその人も多忙でなかなか連絡ができず常に孤独でした。

 

自分だけじゃない、とわかっただけでもプラスでしたが共鳴・共感が一番欲しい時にひとりぼっちなのは本当に不安でした。

 

対応策を知っている経験者に早く出会えれば、同じ出来事でも捉え方がまったく異なるので、介護の入り口で悩んでいる人は早めに相談できる先を見つけておくに越したことはありません。それも複数。

大好きな介護スタッフさんとお別れ

デイサービスデビューから、人と上手くやれない母のお世話をしてくれていたスタッフさんが退職することになりました。

 

通い出した頃、無駄なプライドで偉そうな態度を取って他の利用者さんを不愉快にさせてないだろうか?と心配で、朝夕の送迎をしたり、おやつの時間に突撃訪問して様子を見に行ったりしたものでした。

 

なぜデイサービスに来てるのかわからないなりに、一応はよそ行きの顔を作って周りに溶け込んでいるていでホッとしました。

 

私におやつの今川焼きを「ほら、食べなさい」とちぎってくれて、協調性ゼロなりに対応できてるようでした。

 

当時は認知症の初期〜中期ぐらいで、まだ病識があったんですね。

 

その頃から朝夕の送迎や日中のお世話をしてくれて、母が一番心を許しているスタッフさんでしたし、私や父とも個人的な会話が多く帰省のたびに挨拶を欠かしませんでした。

 

腰椎圧迫骨折した母を、仙台の定義山遠足に連れて行ってくれたのも彼女でした。

 

もう治っているにせよ、まだコルセットしてるし車椅子だから皆さんの迷惑になるのでと遠慮しましたが「大丈夫ですよ」と、同行してくれて名物の油揚げをお土産に買ったり、お参り写真を撮影してくれたり実に見事な手際でした。

 

ほんのひと時でも母と関わってくれて、私や父が楽な気持ちで過ごせて本当に救われました。

 

昼休み会いに行き、お礼をきちんと言えて良かったです。

 

これからも多くの人との出会いを楽しみにしています。