のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

他人の考えが頭のなかを占める

ROM専はやめよう

SNS中毒の人も多いかもしれませんが他人の思考の垂れ流しを追いかけてもしょうがないですよ。推しの発信を見逃したくないのはわかりますが、切り取られた世界の手ざわりを本気にしてはいけません。とくにインスタが顕著で「それだけ」で「どこまで」想像できるか試されているだけでしょう。画像下の長いコメントを読むフォロワーがどれほどいるのかな。とはいえその手軽さが受けるんでしょうけれど。

 

私個人の意見ですが伝えたいことは文字テキストで別途発信するほうが思考の整理になると思っています。だからほぼ読まれないブログふたつを10年も書いているわけで(笑)他人の考えに引っ張られてないか、ほんとうに自分の意見なのかつど確認しながら作業しています。思考の変遷も自分で確認できますしね。あの当時どう考えていたのだろう⁇とふりかえることができる便利な機能だと思っています。

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むかしは自他の境界線がわりと曖昧で「あの人はどうして拗らせているんだろう」と思うことが多かったようです。いまは冷たくなったわけじゃなくて「そういう人なんだ」とちょっと突き放し俯瞰した感じでみています。善し悪しじゃなく「私とは違う」と認識できたのでしょうね。その人が選んだ態度や生き方を批判はしません。それがとても損しているように感じても大きなお世話でしかないということですね。頭のなかを10年書いてきての発見と効果でした。

庭仕事で坐骨神経痛に

カイロプラクティック一択

毎月のようにキャリーにボストンをくくりつけて400Kmはなれた実家管理にかよっています。帰省じゃなくて「お仕事」ね。主宰するピアノ教室や賃貸管理、庭仕事、室内掃除そのたもろもろ雑務をこなすためうまく休息や気晴らしを挟まないとクタクタになります。とくに庭仕事は楽になったとはいえ草刈りの不自然な姿勢で坐骨神経痛が再発しました。寝返りするときお尻が鈍く痛む、歩行はできるけれど違和感があるなど特有の症状がでてきたら躊躇せずにカイロプラクティックの予約をとります。手技でずれた骨を正しい位置に戻すため効果はわかりやすいですよ。よい治療家さんと出会えてついてます。

 

いつも施術しながらおはなしするのですが、クロモジの実が羽子板の羽の軸に使われているとか森林講座でおそわったことをはなす自分がイキイキしていて驚きます。人はほんとうに好きなことを伝えるときの熱量がちがいますね。意外な気づきです。幼少期に父と遊んだ鳴り砂のはなしとかもつい饒舌になります。みんなに知ってほしいことがあるのはしあわせですね。

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知ったところでなんの得にもなりませんが植えると大変な目にあう庭木ワースト3(南天、藤、アジサイ)とかこのさき親の家の手入れがはじまる人など少し心に留め置いてもらえるといいかなと。どれだけ手に負えないか体験してはじめて腑に落ちるものですから。この3つはやりすぎなぐらい剪定してももとどおり以上に伸びるから安心して切ってください。難を転じる南天は放置すると災いしかひきおこさず要注意ですよ(笑)

値踏みされるのが怖いおじさん

社会の評価に身を預ける

むかしの価値基準に無理して自分を寄せていき、他人のこともその枠組みのなかでしか解釈できない人をみかけます。ほとんどが昭和のおじさんでそのことにまったく無自覚で生きづらそうです。社会の奴隷になっているのに己の立ち位置を勘違いし、なんならうえのステージにいると思い込んでいたりタチが悪いですよね。ある意味気の毒ではあるけれど時代の被害者なのかもしれません。

 

勤務先の規模が自分の社会的価値と信じて疑わず、もっとうえの人には媚びて下と認識した相手にはマウントをとるという、どこで習った流儀なんですかね。それが冷笑される原因なのに気づかず同じ大学出身など似たような文脈の人とばかり接しているのだから変わりようもありません。話題はつまらない自慢話オンリー。それが他人を見下しているのにも気づきません。なぜ自分は好かれないんだろう⁇と疑問のようですがすべてはその態度、思考によるものでしかないでしょう。

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外ヅラがいいのも特徴でその一面しか知らない取引先の人など「無理なお願いを聞いてくれるいい人」みたいに思っていたりします。いやいや、安く便利に使われてるだけでしょ。あなたが困ってもその人は多分助けてくれませんよ。勝手に無理なお願いを聞いていい人のふりをしていただけなんですから。あれ、思いあたる人いますか⁇(笑)

そこにいるという価値

写真で寂しくなる

連休中の写真整理で要不要の判断を迫られいっきに疲れてしまいました。しかしいずれやらなきゃいけなかったことに着手できて心が楽になると同時に、両親の大変だった時代を知りなんともいえない気持ちになりました。当時母はフルタイムの共働きで虚弱体質でありながら無理して頑張りそのおかげでいまがあるのですが、やはり過酷な生活は健康に影をおとします。少しずつみすごしてきたものが最終的にアルツハイマーというかたちであらわれました。

 

こんなに働いているのに義父母の生活費や私たちの学費、住宅や車ローンの返済や地域の寄り合いの接待費などでていくばかりで、ほしいもの、したいこと、行きたい場所などどれだけの願いが叶ったのだろうかと母の心情が蘇ってきます。そりゃ愚痴もでますよ。しょっちゅう聞かされた私は家庭を持ってもいいことなんてないな、なんて思ったぐらいです。草花を育て小鳥を飼うというささやかな楽しみでどれだけ満たされたのかも今となっては分かりません。

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地元は18時になると「遠き山に日は落ちて」のチャイムが鳴るのですが、それを聞くと郷愁感マックスでとても寂しくなります。「今日も無事夕方になったね」と仏壇にはなしかけながらカーテンを閉め「ここにいるだけ」の重要性を感じています。とくになにするでもなく留守番みたいな感じですがね、その空間に魂があることがはっきりとわかるんですよ。きっといつも見守られているんだろうな。

うららかな田舎暮らし

ご隠居生活

この時期の地元では小鳥のさえずりで目覚めマサラチャイを煮出して早朝から草刈りし、汗ばんだあと朝食という隠居老人のような生活をしています。都会の喧騒とは隔絶された世界で気候にあわせた暮らしを組み立てているのです。若いころはまったく価値を感じませんでしたがものすごく豊かで贅沢ですよね。当時と変わらない環境を維持できているのも貴重です。

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それがいつのまにか都会こそが正しくておしゃれなライフスタイルなんだとメディアで洗脳され、まんまと仕事から消費までお手本をなぞる真似っこ人生になっていました。心あたりのある人多いんじゃない⁇自分の本音で選んでませんからね、まわりからどう思われるか、こう思ってほしい人物像であるためにおかしな努力をしていました。地方出身者の都会デビューってそういうところあるんじゃないかな。

 

時代もかわり騒音や治安、景観や近隣トラブルなどが可視化されるようになり都会暮らしもよいことばかりじゃないと知られるようになりました。もちろんそこでなければ成立しないお仕事もありそれを生業にするならしかたないけれど、私はずっとごみごみしたノイズに晒されているのが疲れるお年頃になりました。とはいえ便利なものや目新しいものは都会に集中するのはしかたないことで、2拠点暮らしゆえ触れる機会も多くそんなに置いてけぼり感もありません。いずれにせよ人は自然からはなれすぎると心を病むのは事実でしょう。自然に興味のない人だって美しい景色をみればそれなりに感動するのでは。定期的に両方のよいところを堪能できるのが理想ではありますね。