のぞみのデュアルライフ(遠距離介護とゴミ屋敷問題)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ

四十九日と納骨と一周忌法要

一年のあいだに相次いで両親が亡くなり二回喪主を務めました。

 

父の突然死から10ヶ月、ようやく相続手続きが済んだのを待っていたように認知症の母の容態が急変しました。

 

なんだか状況が掴めないまま次々やってくる事務処理に忙殺され、なんども実家を往復し自分の体調も思わしくないまま流されていきました。

 

心と身体が乖離した状態でものごとに当たるのは辛く、いつもどこかしら不調があってどこにいてもリラックスできません。

 

寂しいとか悲しいとか感じる暇もなく庭仕事や雑務に追われ、ようやく法事を済ませることができました。

 

ごく少数の身内とご近所さんだけなので出欠確認や打ち合わせも去年よりいくぶん楽でした。

 

とはいっても石材屋さんや葬儀社さんや檀家寺院、料理屋さんとの打ち合わせのためだけに帰省しトンボ帰りするのは想像以上に負担です。

 

あいまにネイルやアイブロウサロンで身だしなみを整え、演奏会や神社巡りでどうにかこうにか気持ちをあげつつやってきました。

 

けして周囲が協力してくれないとかじゃないんですよ。

 

相談したり助けてくれる人がいても、最終確認は喪主である私がしなければならない。責任問題です。

 

送迎車が来なかったり母の新しい位牌を忘れたり小さな手違いはありましたが、快晴のなか納骨までできて恵まれた1日になりました。

 

少しだけ肩の荷がおりたので、どこか気晴らしに出かけようかと思います。

 

ソバ好きは大人になった証拠?

子供の頃からうどんが好きで、ソバなんて食べた気がしないうえにすぐ空腹になるという感覚でした。

 

世の中で一番嫌いな食べ物といってもいいぐらいでした。

 

それは単に美味しいソバを食べたことがなかったから、味覚が未熟で腹持ちのするものにしか反応しなかったからです。

 

グルテンフリーがどうこういわれはじめたタイミングで、小麦粉でできたものをできるだけ避ける生活をしてみました。

 

当然うどんやピザ、パスタの類は口にしません。

 

麺類はソバ一択です。

 

ある日、知る人ぞ知る隠れ家に迷いながらたどり着くと感動するおいしさに出会いました。

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そこは脱サラしたご主人と奥さまで切り盛りする、普通の住宅街の一軒家です。

 

口コミとご近所の方しか来ないお店はまるで秘密基地のようです。

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蕎麦猪口や徳利などの器からそばつゆや鰹節の調味料に至るまでこだわりぬいたもので揃え、常連客は皆満足そうに食べていました。

 

私も初めて食べたときは、具材と小鉢、ソバの絶妙な美味しさに驚き、中高年が突如そば打ちに没頭する気持ちが腑に落ちました。

 

どれもこれも厳選されている。

 

かといって高いわけでもなく、無理のない範囲での営業だから週5日の昼間しか開いていない、それも事前に予約しておかないと売り切れている場合もある。

 

そんな大好きなお店に遠距離介護のあいまに立ち寄るのがささやかな楽しみでした。

 

しかし昨日久しぶりに出掛けてみてご主人が亡くなったことを知りました。

 

やっぱりお別れは突然なんだな。

 

隠れ家のような空間で相席した人々との会話が楽しく、孤独な介護生活に潤いをもらっていたのに。

 

がっかりしながらの帰り道、また新たな出会いと発見がありこうやって生きていくよりないのだなと改めて思いました。

 

意外な場所で動物保護の草の根活動を知る

お気に入りのお蕎麦屋さんが千葉にもあり、住宅街の一軒家でまさにほんとの隠れ家。

 

いつもは連絡してから向かうのですが、早い時間帯だったので近くまで行ってから電話しようと家を出ました。

 

お店のそばの小さな神社へ行くと氏子さんたちが明日のお祭りの準備をしていました。

 

なんて愕然。

 

「夕方から集会があるけどあなたも来ますか?」

 

と誘われましたがそれは無理です(笑)

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そこから大きな神社へ行き、年配のご夫婦に「よく来られるの?」と訊ねられたのでお蕎麦屋さんのくだりを説明し電話番号まで教えて差し上げました。

 

時間調整で寄った◯ルエツでまたお会いしたので、お店の場所をご案内しましたが休みでした。

 

定休日じゃないのにどうしたのかな?

 

電話も出ません。

 

せっかくなので、いつも通りすぎる雑貨屋さんのご主人に聞くとオーナーは先日亡くなったと教わりました。

 

えええっ‼︎

 

私が密かに日本一美味しいと思っているお店だったのに。しかもオーナーはまだお若かったのに。

 

もう二度とあのお蕎麦を食べられないと思うと残念すぎて言葉になりません。

 

遠距離介護のあいまに楽しみを与えてくれるお気に入りのお店でした。

 

代わりといってはなんですが立ち寄った雑貨屋さんのご主人が、あまり発信していないけれど動物保護活動を熱心にしていることを知りました。

 

お店は大きなプードルが接客担当で、急に吠えられ一瞬たじろぎましたが、もともと犬が好きですぐに慣れました。

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犬も猫も皆んなネグレクトや遺棄された子たちで、わざわざ宣伝してないけれど好きで保護活動をしているということでした。

 

そしてお話も面白く、お店は不思議と波長の合う人ばかりが吸い寄せられてくるのだそうです。

 

あれ、私もそうなのかな⁇

 

とにかく大好きな動物たちと一緒に過ごせてお気に入りの商品に囲まれストレスがないのだとか。

 

もちろん生き物ですからご飯を食べさせたりお散歩や予防接種その他費用はかかりますが、好きなことだから苦にならないのだそうです。

 

飼いたいという人とマッチングさせたり、訓練所へ通わせたり、賛同するお仲間と一緒に活動したり、日頃知ることのできないお話を聞かせていただきました。

 

閉店したお蕎麦屋さんの代わりになりうる名店もいくつか教わり、不思議な秋の1日が暮れていきました。

 

 

馬頭琴が二弦しかないと知った日

弦楽器にはまったく縁がないですからね。でも二胡馬頭琴の音色は好きで、聴けるとなると足を運びます。

 

(なぜか大陸に関連するものに惹かれるのは、そろそろモンゴルへ行けという兆しなのかな?)

 

たまたまレクチャーつきの演奏会があり参加すると、馬頭琴はナイロンでできた二弦のみでソとドの音しか出ないと解説がありました。

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爪で弦を押さえながら弓で演奏するそうです。

 

何曲か演奏がありましたが、どれもモンゴルの草原を彷彿とさせるような、野外で聴けばもっと素敵だろうなと感じるものばかりでした。

 

ピアノとパーカッションとのセッションもあり贅沢な時間を過ごせました。

 

合間に珍しい楽器に触って音を出せるコーナーがあり、サボテンの中に砂が入ったレインスティックという楽器は波の音のような音色でアリゾナで雨乞いの儀式のさいに使うのだとか。

 

モーコックというカエル型木魚のような楽器は擦って音を出します。

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衣裳の解説もあり、女性はベストに満族のワンピースのようなモンゴルの民族衣裳で、袖は手の平まで隠れる長さで馬に乗るとき手綱で手にマメができないよう手袋のように使うそうです。

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靴はブーツで爪先が尖っていて、落馬したときあぶみから楽に抜けるような作りだそうです。

 

ただ刺繍が豪華なだけじゃなく、いろいろ考えられているんですね。

 

ちなみにアーティストさんの衣裳はペイズリー柄で世界共通の柄なんだな〜と改めて感心しました。

 

このところ実家となん往復もして疲れていましたがかなり気分転換できたのと、こないだ流鏑馬に行ってから馬づいていて、演奏会に向かう道すがら乗馬クラブの体験会に勧誘され行く気になっている自分がいます。(仙台でぐんまちゃんにも遭遇しました)

 

今、私におりてきているワードは馬のようです(笑)

 

 

遺体ホテル 多死社会の現実

都市部では葬儀待ちのご遺体の安置所が不足しています。

 

集合住宅が多いでしょうから、病院から寝かせたままで搬送し納棺するスペースはないでしょう。

 

棺はエレベーターに入りません。

 

だから病院や施設で亡くなると自宅へ戻らず直葬するケースが殆どなんですね。

 

良し悪しの問題ではなくこれが現実なのです。

 

昔とは住宅事情が違いますしね。

 

https://news.biglobe.ne.jp/smart/amp/domestic/1015/ym_181015_4517564498.html

 

葬儀場も空きがありませんからご遺体を安置するホテルの需要が高まっています。

 

多死社会では火葬場も葬儀場もなかなか空きがなく、ほとけ様にお待ちいただくスペースの確保が必要です。

 

私の実家は地方の田舎で自宅で葬儀も法事もできる部屋があり、祖父母も両親も自宅から葬祭場へ見送ることができました。

 

しかし普段使っていない仏間はもったい広さで、数十年に一度あるかないかの行事のためにコストが嵩みます。

 

今後はこの続き間を活用するか手放すか人に委ねるか考えていかなければなりません。

 

亡くなったら暮らしていた家に一度戻りたい、というささやかな願いは叶わぬ世の中になりました。