のぞみのデュアルライフ(遠距離介護とゴミ屋敷問題)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ

認知症に心当たりのあるライフスタイルII

発症の20年も前から兆しがあるといわれていますが、原因の一つに睡眠の質の良し悪しもあるようです。

 

そういえば母は眠りが浅く、お昼寝の習慣などもなく常に寝不足で不機嫌でした。

 

実証できてるかもしれません。

 

眠っているあいだに脳のゴミが掃除されということです。

 

だからきちんとした睡眠が大事なんですね。

 

漢方的には夜に気血水の血と水(陰)が作られるといわれています。

 

血は血液を含む身体のなかを巡る栄養、水は汗やリンパ液や涙などいずれもなくてはならないものです。

 

脳のゴミ掃除ができず必要な成分も作られなければどうなるんでしょう。

 

いいことはなさそうですよね。

 

血虚(栄養不足)の状態ですから、精神状態を左右する血の不足で苛立ちや不安で穏やかでいられなくなります。

 

もともとの性格もあるでしょうけれど、ねじくれたモノの捉え方や考え方でますます周囲との軋轢を生じます。

 

うまくいかないループの完成ですね。

 

ますます孤独になる。

 

数少ない周りの人を愚痴の掃き溜めにする。

 

嫌がられ距離を置かれる。

 

まずは自分を整えるのがいかに大切かなんですよね。

 

結局は己の状態が反映されるだけですから。

 

体調から心までまずは自分を整えよう。満たされていれば人を愚痴箱にしたり、そのせいで距離を置かれることもないから。

 

田舎の学問より京の昼寝

田舎で一生懸命学問するより都(みやこ)で昼寝でもしながら多様な人に触れるほうがよほど勉強になる、といった意味のことわざです。

 

現代に例えるなら、遠くで憧れの場所や人を思いながら生きるより行ってしまうほうがよい、と私なりに解釈します。

 

いくら検索したり画像を見てもリアルの空気感は得られませんからね。

 

そう、行ってみて会ってみて体感するのに勝るものはないわけです。

 

実体験では思っていたとおりだった、または思い違いや誤解していたことに気づけます。

 

〇〇という場所はこうらしい

 

〇〇さんてこういう人らしい

 

どちらも遠くから眺めるだけではわかりません。

 

半世紀以上生きてきて今さらかもしれませんが、まだまだ未体験なことがたくさんあります。

 

画像や字面ではやばや判断してしまうことがほとんどですが、面倒がらずリアルな体験をしていきたいと思っています。

 

期待していたより楽しくなかった、面白いと感じなかった。

 

若い頃はそれで損した気分になっていましたが、今はそれこそが貴重な経験と思えるようになってきました。

 

まぁそうはいってもつまらない空振りばかりだと昼寝の経験値もあがりませんが(笑)

 

払えない人はどうするんですか?タダじゃ死ねない現実と暗黙知

父のときと同じテーマですが、戒名代が明確になっているうちの檀家寺院は良心的なほうらしいです。

 

info.dual-life.site

 

 

今回母のおなまえも戴いたのですが、葬儀社さんで同じ臨済宗の別の寺院は100万円からという話を聞きました。

 

払えない人はどうするんですかね

 

生きている頃からそのぶんはきちんととっておくのでしょうか。

 

分割もあるそうですが、たいていキャッシュで一回払いが常識なようです。

 

仏教の素晴らしい法話を広める活動をするでもなし、そのお布施は住職家族の生活費になっていくのでしょうか。

 

せっかくの教えや哲学も生きているときに味わうことなく死ぬときに読経で聞かされてもね。

 

もったいないですよね。

 

檀家総代とか会計係をステータスと思い違いしている地方の田舎では誰も声をあげることはありません。

 

葬儀なんてセレモニーでしかないからどんどん簡素化されてきているのだし、時代の流れを読んで変化していくことが大事かと思います。

 

都会の人はなぜ地方に憧れるの?

都会暮らししか知らない人は自然たっぷりストレスフリーな未知の世界に憧れるのでしょうか?

 

(雪道の運転や毎朝の雪かき、ストーブに灯油を補充するなど生活の面倒も楽しめますか?とちょっと意地悪な質問 笑)

 

私は介護のために思いがけなく二拠点居住をすることになり、常に行き来することでものすごい疲労と楽しみの両方味わえています。

 

しかし地元ならではの人間関係は特殊すぎて都会の人には理解できないようです。

 

どういう関係性なの?

 

と訊ねられて「分家の◯◯さん、いつもお世話になってるの」

 

と説明してもわからないようで本家と分家の位置付けから解説しなければなりません。

 

面倒だな。

 

そんぐらいググればいいのに。

 

曽祖父母の世代からお付き合いのあるお宅も多いので、私の代で直接お付き合いをしていなくても冠婚葬祭は必ず参加する決まりです。

 

この土地から一生涯でることなく人生を終える人も大勢います。

 

都会のノリでうっかりお喋りすると会ったことすらない人が自分のことを詳しく知っていて驚くなんて普通にあります。

 

びっくりしないでくださいね、それがローカルルールですから(笑)

 

双方がお互いを珍しがって刺激があるうちはいいんですがね、人には便利な機能も備わっていてそれが「飽きる」ということなんです。

 

そのあたりも上手く飼い馴らせればローカルライフを満喫できるかもしれません。

 

要はバランス感覚です。

 

どちらかだけが優れているわけじゃない、どちらかだけだと飽きる。

 

わがままなだけか(笑)

 

 

 

ケアラー(介護者)にとっての吐き出し口とは

10年に及ぶ認知症の母の介護はとても一言では表せません。

 

泣きそうなほどの孤独、病気の現実を理解せず世間に隠し通す父との確執、酷くなるばかりの徘徊で警察沙汰、流血事件、救急搬送、繰り返す失禁、転倒骨折、ノロウィルス、インフルエンザ。

 

いつもなにかに追いかけられているような感覚で心から楽しめない日々でした。

 

心身ともに限界値ぎりぎりでやっていました。

 

多くの人が手を貸してくれたお陰でなんとか10年お世話することができました。

 

遠距離介護といいつつも至らない部分ばかりで、掃き溜めのような実家の断捨離やバリアフリー改修も周囲に助けてもらいました。

 

そんななか、地元の県立宮城大学看護学部の学生さんたちが毎年在宅介護のインタビューに来てくれるようになり、少しずつ外に向けた発信をするようになりました。

 

そこから専門知識のある友人が手伝ってくれて介護に関する発信ができるようになりました。

 

このblogを読んだテレビ局のプロデューサーから連絡があり認知症の特番に呼んでいただきました。

 

母に合わない漢方薬を飲ませたことから漢方スクールに通い、そこから漢方講師のお話をいただきました。

 

自分のなかで介護生活を総括したいと思ってもどんな方法があるか、できるかわからない人が大半かと思います。

 

私は幸いなことにこれまでの体験を綴ったり語ったりできる場を与えられ、頭のなかを整理しながら生活できています。

 

周囲の人に恵まれたお陰です。

 

介護は人それぞれ立場も状況も異なりますから、急に誰彼構わず喋っても共感されにくいものです。

 

まして同じ境遇の人たちが集うケアラーズカフェに行ってもなんだか空振りのような気分になります。

 

私の場合「あなたは吐き出し口があって救われたんだね」という友人の言葉に膝を打ったのでした。