のぞみのデュアルライフ(遠距離介護とゴミ屋敷問題)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ

払えない人はどうするんですか?タダじゃ死ねない現実と暗黙知

父のときと同じテーマですが、戒名代が明確になっているうちの檀家寺院は良心的なほうらしいです。

 

info.dual-life.site

 

 

今回母のおなまえも戴いたのですが、葬儀社さんで同じ臨済宗の別の寺院は100万円からという話を聞きました。

 

払えない人はどうするんですかね

 

生きている頃からそのぶんはきちんととっておくのでしょうか。

 

分割もあるそうですが、たいていキャッシュで一回払いが常識なようです。

 

仏教の素晴らしい法話を広める活動をするでもなし、そのお布施は住職家族の生活費になっていくのでしょうか。

 

せっかくの教えや哲学も生きているときに味わうことなく死ぬときに読経で聞かされてもね。

 

もったいないですよね。

 

檀家総代とか会計係をステータスと思い違いしている地方の田舎では誰も声をあげることはありません。

 

葬儀なんてセレモニーでしかないからどんどん簡素化されてきているのだし、時代の流れを読んで変化していくことが大事かと思います。

 

都会の人はなぜ地方に憧れるの?

都会暮らししか知らない人は自然たっぷりストレスフリーな未知の世界に憧れるのでしょうか?

 

(雪道の運転や毎朝の雪かき、ストーブに灯油を補充するなど生活の面倒も楽しめますか?とちょっと意地悪な質問 笑)

 

私は介護のために思いがけなく二拠点居住をすることになり、常に行き来することでものすごい疲労と楽しみの両方味わえています。

 

しかし地元ならではの人間関係は特殊すぎて都会の人には理解できないようです。

 

どういう関係性なの?

 

と訊ねられて「分家の◯◯さん、いつもお世話になってるの」

 

と説明してもわからないようで本家と分家の位置付けから解説しなければなりません。

 

面倒だな。

 

そんぐらいググればいいのに。

 

曽祖父母の世代からお付き合いのあるお宅も多いので、私の代で直接お付き合いをしていなくても冠婚葬祭は必ず参加する決まりです。

 

この土地から一生涯でることなく人生を終える人も大勢います。

 

都会のノリでうっかりお喋りすると会ったことすらない人が自分のことを詳しく知っていて驚くなんて普通にあります。

 

びっくりしないでくださいね、それがローカルルールですから(笑)

 

双方がお互いを珍しがって刺激があるうちはいいんですがね、人には便利な機能も備わっていてそれが「飽きる」ということなんです。

 

そのあたりも上手く飼い馴らせればローカルライフを満喫できるかもしれません。

 

要はバランス感覚です。

 

どちらかだけが優れているわけじゃない、どちらかだけだと飽きる。

 

わがままなだけか(笑)

 

 

 

ケアラー(介護者)にとっての吐き出し口とは

10年に及ぶ認知症の母の介護はとても一言では表せません。

 

泣きそうなほどの孤独、病気の現実を理解せず世間に隠し通す父との確執、酷くなるばかりの徘徊で警察沙汰、流血事件、救急搬送、繰り返す失禁、転倒骨折、ノロウィルス、インフルエンザ。

 

いつもなにかに追いかけられているような感覚で心から楽しめない日々でした。

 

心身ともに限界値ぎりぎりでやっていました。

 

多くの人が手を貸してくれたお陰でなんとか10年お世話することができました。

 

遠距離介護といいつつも至らない部分ばかりで、掃き溜めのような実家の断捨離やバリアフリー改修も周囲に助けてもらいました。

 

そんななか、地元の県立宮城大学看護学部の学生さんたちが毎年在宅介護のインタビューに来てくれるようになり、少しずつ外に向けた発信をするようになりました。

 

そこから専門知識のある友人が手伝ってくれて介護に関する発信ができるようになりました。

 

このblogを読んだテレビ局のプロデューサーから連絡があり認知症の特番に呼んでいただきました。

 

母に合わない漢方薬を飲ませたことから漢方スクールに通い、そこから漢方講師のお話をいただきました。

 

自分のなかで介護生活を総括したいと思ってもどんな方法があるか、できるかわからない人が大半かと思います。

 

私は幸いなことにこれまでの体験を綴ったり語ったりできる場を与えられ、頭のなかを整理しながら生活できています。

 

周囲の人に恵まれたお陰です。

 

介護は人それぞれ立場も状況も異なりますから、急に誰彼構わず喋っても共感されにくいものです。

 

まして同じ境遇の人たちが集うケアラーズカフェに行ってもなんだか空振りのような気分になります。

 

私の場合「あなたは吐き出し口があって救われたんだね」という友人の言葉に膝を打ったのでした。

 

 

孤独死が怖くて急にオトモダチづくりに励む中年

1人で死ぬのが怖いからと、急にこれまでと違うコミュニティに参加して必死にお友達づくりに励む中年が増えているそうです。

 

いや、誰だって最期は1人でしょうが。

 

というかどんなに多くの友人・知人・家族に囲まれていても理想とする死に方なんてできないのが現実です。

 

それにたくさんの人に看取られ見送られても自分で確認できませんしね。

 

孤独死を防ぐためなのか、自然災害時の互いの安否確認をするグループLINEでやり取りして盛り上がっているようですが、そういう相手がほしいだけなのではと勘ぐってしまいます。

 

日頃からの関係性が築けてるんでしょうか。

 

私は幼少から孤独癖が強く、いずれ誰にも知られずひっそりこの世とお別れしたいと思っていて、それは今も変わりません。

 

親を2人見送って自分の責任はもう果たしたと思っています。

 

あとは歴代のご先祖様に失礼にならないような墓仕舞いをして自宅も処分して事務的な手続きまでしたらそこから先はどうにもできません。

 

それこそ神のみぞ知るです。

 

墓友探しをするシニア層も多いと聞きます。

 

みんな一緒に死ねるわけじゃないですしね、年齢どおりの順番にもなりませんから受け入れるしかないと思いますがそれじゃやっぱり寂しいんでしょうね。

 

1人で死にいくのがそんなに孤独なんでしょうかね。

 

そもそも孤独は恥ずかしいことなんでしょうか。

 

私がたまたま地域社会に恵まれ、幼少からの友人・知人がたくさんいて、親戚や近所づきあいがあるからそんなこと言えるんだろうと思われるかもしれませんが、高齢になったら入院しただの介護施設に入っただのでオトモダチごっこもできませんよ。

 

それが現実です。

 

 

母の爪切りが怖い

介護施設での爪切りは医療行為に当たるとは知りませんでした。

 

介護を卒業した今ごろ知っても遅いのですが。

 

では母の爪切りをどうしていたかというと、父がやっていたのですが老眼で眼鏡をかけていても肉まで切ってしまいそうでこわごわでした。

 

あるとき施設のスタッフさんに相談すると「こちらでしますよ〜」といってくれて悩みは解決しました。

 

あれ、それは施設のナースがやってくれていたのかな?

 

認知症の人はこれからなにをしますからね、ちょっとじっとしていてね〜と説明しても理解できないんですね。

 

抵抗されて怪我させたらスタッフさんの責任になります。

 

そういう事故は一度もありませんでしたが、結構皆さん困っていると思います。

 

安心して身体を委ねてくれればいいのですが、皆んながされて嫌なこといいことが同じじゃないのです。

 

もう一つは耳掻き。

 

これほどの恐怖はありません。

 

万が一動かれて鼓膜を破ってしまったらと思うと、なにもしないほうがいいのか、とか悩みました。

 

機嫌の良さそうなときに私と父で懐中電灯で照らしながらやったことがあります。

 

自分のことがわからなくなるって、爪も自分で切れないし、耳掻きもできない、トイレに行きたいかどうかもわからなくて連れて行ってほしいという言葉も忘れてしまう。

 

そういうことなんだな。