のぞみのデュアルライフ(遠距離介護とゴミ屋敷問題)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ

高齢親の聴力をチェックしよう 腎の衰えは耳と繋がる

先日、友人と話していてそういえばうちの親は耳はよかったということにはたと気づきました。

 

友人の親御さんは少し聴覚が衰えてきてついテレビの音を大きくしたり、一度で会話を理解しにくかったり、高齢なら誰でも思い当たることがあるということでした。

 

聞き取りづらいと会話を楽しめませんよね。

 

耳鼻科の受診と補聴器という選択はどうだろう?と提案してみました。

 

うちは両親とも耳がよかったので盲点でした。

 

しかしそうはいってもやっぱり私にしてはテレビの音は大きかったし、車のラジオやCDは乗るたびに低くしておきました。

 

ラクションを鳴らされても気づけなかったり、外の音で危険を察知できないと事故のもとですから。

 

耳から拾う情報は思いのほか大きいのです。

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東洋医学を学んだとき、腎(生命の源)の衰えは耳に繋がると教わりまさにその通り‼︎と腑に落ちました。

 

ではどのように腎を労わればいいのか。

 

腎虚は加齢で仕方がないことですが養生しだいで遅らせることも可能です。

 

お腹周りを冷やさない、以前も書きましたが腹巻や湯たんぽお灸などで温める、冷たい飲食物や生ものを控えるなどごくごく普通のことばかりです。

 

この地味な積み重ねが何十年かあとに現れるのですね。

 

しかしやってみなければ結果はわからないので、つい易きに流れます。

 

ちなみに私はテレビの音は最小限に絞り、出先でイヤフォンは使わず耳を酷使しないようにしています。(昔からパチンコ屋さん、クラブ、騒がしい場所が苦手です)

実親だから介護できるとは限らない

同居や通いで親の介護をしている人を「偉いわね〜、よかったわね○○さん(親の名前)」というのは取り敢えずの社交辞令ですからね、本気にしないほうがいいですよ。

 

私だっていいますもん(笑)

 

それぞれのケアラー(介護者)の抱える闇が案外深くて、ちょっと喋ったぐらいではわかりません。

 

まして「どこの家だっていろいろあるわよ〜」などと一括りにされたくない事情もあるものなのです。

 

私だって今でこそ発信したり人に喋ったりできますが、自分が落ちているとき、母の病状にショックを受けていた頃はとてもじゃないけれど本音を晒すなんてできませんでしたよ。

 

昔のしっかりしていた頃の親像とのギャップ。

 

当時、さんざん私をなじったり叱責して逃げ場すら与えなかった母のやり口が蘇ってきて、心を無にして介護できるようになるまで苦しかったですね。

 

そういう葛藤している時間はものごとが進みませんから躊躇せずプロの手を借りましょう。

 

メンタルをやられてまですることじゃありません。

 

 

母の施設退所手続き

介護施設の個室には自宅から持ち込んだタンスやチェスト、衣類があるので退所手続きをしたら速やかに引き取らなければいけません。

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空室ができれば入所待ちの方が助かります。

 

食べこぼしや失禁で頻繁に洗濯し乾燥機を使うので衣類はすぐ痛みます。

 

母もデイサービスに通っていたころ、何度も備え付けのズボンを借りました。

 

朝と違うものを着せられて帰宅するのでお風呂で間違えたのかな?と思ったらそうじゃなかった。

 

オムツを通りこして横漏れすると洗濯するしかないのです。

 

消耗品ですからね、パジャマや肌着やまだまだ着られるセーターなども次の方に使ってもらうことにしました。家具も置いてきました。

 

思い悩んでいたより退所は簡単で、法事や納骨が済んだら改めて事務所にご挨拶に伺います。

 

1年にも満たない施設暮らしでしたが、プロの手でケアされ家でお世話されるよりよかったかもしれません。

 

いま自分がどこにいて誰にオムツを替えてもらっているかわからなくなっていましたが、そこそこご機嫌で過ごせたかと思います。

 

わずかな手荷物だけを引き取ってきた今日は奇しくも母の誕生日でした。

 

法事続きで段取りに忙殺される

今回は母の四十九日と父の一周忌法要、母の納骨などの打ち合わせのためだけに帰省です。

 

まず親戚、地域の方々の出欠確認です。ご近所は案内文持参で一軒ずつ訪問してお伺いします。

 

不在またはご家族だけのときは、あとから電話で確認します。

 

田舎で高齢者だけの家庭がほとんどなので電話という連絡手段しかありません。

 

私は千葉から失礼のない時間帯を見計らって電話します。

 

自分の気持ちが落ちているときは面倒でやる気がおきません。

 

今回すんなりうまくいってよかったです。

 

石材屋さんに母の戒名を掘ってもらい、納骨日のなんじにお墓を開けてほしいか連絡します。父の時は高齢の方でしたが、息子さんになってからLINEでやり取りできるので助かりました。

 

料理屋さんとお膳のグレードや引き物、引き菓子の打ち合わせを済ませ、葬儀社さんから母のお位牌を受け取り、当日持参する供花やお菓子、お茶、水の準備をしました。

 

合間に灯油の配達日なのでポリタンクを玄関先に出しておくのを忘れずに。

 

宮城県は冷え込んできたので、私の不在中ピアノ教室の生徒さんたちに寒い思いをさせられません。(私はピアノ教室の大家さんをしています)

 

配達ドライバーさんが小学校からの同級生のご主人で融通がきき、二週おきぐらいに補充してくれていて本当に助かります。

 

詰め込みすぎで疲れたので、介護中はタイミングが合わず行けなかった隠れ家に新そばを食べに行きました。

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ウェブサイトもなくナビがあっても戸惑う場所です。

 

途中の産直市場で買い物もできてささやかな楽しみを味わいました。

 

介護中はこんな些細なことすらできませんでした。

 

今は雑用に追われつつも、自分の裁量で動けるのでだいぶ気楽になりました。

 

認知症の人を叩かないで

私でさえ母に手をかけてしまうのではないか、と介護中思うことはありましたよ。

 

それも一度や二度じゃありません。

 

そんなとき実際やるかやらないかは、わずかな差でしかないので非難はしません。

 

でもいう通りに動かないからと「ききわけがないときはお尻をびしっと叩くんだ」

 

という父の言葉を聞いたとき「あ、コイツおかしい。わからせないと」と思いました。

 

噛んで含めていって聞かせても腑に落ちなければ無理なので、嫌気がさすほど身近で具体的な例をなんども話して聞かせました。

 

若い頃から母が嫌がることを訴えても無視し続け、機械のように健康で壊れずいつまでも自分の都合に合わせて動いてくれると勘違いしている老人に理解させるには、ちょっとやそっとのことでは無理です。

 

相手の痛みを知るには同じ感覚を体感するしかありません。

 

考えや感情を全否定され、一切の妥協点や代替案も受け付けないという昔、自分がしてきたであろう同じ対応をしました。

 

繰り返し、なんどもなんどもなんども。

 

嫌がらせじゃないですよ、念のため。

 

私のみていないところで、老人2人だけの密室でなにが起きているかなど知る由もないですからね。

 

いわれたことが理解できず、自分の身体の使い方すら忘れてしまった母を介護するには先回りした誘導をするしかありません。

 

高齢になってから連れ合いがこんなふうになるなど想定外ですからね、そりゃ苛立ちますよ。

 

ずっと順風満帆できた父の最終課題が「理不尽を受け入れる」だったのかもしれません。

 

無理なく受け入れられると楽になりますよ。

 

どうにもならないことをどうにかしようとするからおかしなことになるんですよ。

 

私も偉そうにいえませんが、父は最終的には「介護させて頂いている」とまでいうようになりましたからね。

 

介護クエストをクリアできたところである日突然旅立っていきました。