のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

公正証書遺言の効力

作っておくと手続きが迅速かつ簡素で非常にストレスフリーです。 

 

ただし費用がかかる、託す人が信用できるかどうか見極めが必要、どのように相続させるかきちんと考えなければならないので頭がはっきりしているうちに行動することをお勧めします。

 

父は6年ほど前に作成していて、今回その通りに執行する運びになりました。

 

地元のメインバンクに届け出するとすぐに書類が送られてきました。

 

私にすべての執行権限があると記載されていたにもかかわらず、相続人全員の名前を自書する書類がありました。

 

すべての権限が私に与えられていたので必要ない書類でした。しかし窓口女性もよくわからないようで電話で問い合わせてもいい加減な返事しかありませんでした。

 

わからないならわからないっていえばいいのに、自分で答えようとするから不審に思ってしまいます。

 

相続事務センターの担当者と支店窓口の女性と言うことが違っては信用問題に関わるのでは?

 

私は千葉からわざわざ店頭に来ているので、また連絡すればいいやぐらいの考えでは困ります。

 

認知症の母は字が書けませんから、前もって面倒を避けるため父なりの配慮が公正証書遺言にはありました。

 

結果、公正証書遺言があったお陰で必要書類の提出といくつか記入するだけで手続きは終わりました。

 

これが絶対揉め事を避けられるとは言い切れませんが、なにかしら想定できそうなら生前整理しつつ検討してみてはどうでしょう。

満蒙開拓団III 陶頼昭(とうらいしょう)接待所

日本が敗戦したことも知らされず大陸に取り残された住民のところへ、現地の人々が強奪にきてさらにソ連軍も侵攻してきて集団自決しかない状況だったそうです。

 

それぞれの出身県ごとに分けられた開拓団が、独自の判断で薬を使って自決を選ばざるをえなかったようです。

 

そんななか、ある開拓団は生きるためにソ連兵に助けを求め、強奪民を追い払ってくれた見返りに女性を要求され開拓団の大人たちが相談したすえ接待所を開設したそうです。

 http://sharetube.jp/article/6971/

接待所に待機するのは10〜20代の未婚女性のみで、生きるために自分の娘を差し出す苦悩を抱える団員も多かったことでしょう。

 

そのお陰か、その開拓団は過半数以上の住民が生きて日本へ引き揚げてこれたそうです。

 

女性たちの犠牲で生き延びられた。

 

その集落の人々は今もそう思っているそうです。

 

戦後70年以上経てようやく当事者の女性たちが重い口を開き始めました。

 

やはり知っておいてほしい出来事なのですね。

 http://seiron-sankei.com/9866

遺族の一人が全員加害者であり被害者と語っていましたが、どんな状況下でも生きたいと願ったら手段は選べなかったのだと思います。

 

まだまだ知らない事実が多く、このまま葬り去られてしまいそうな歴史をどこかに記録しておくべきなのではと思いました。

 

満蒙開拓団II

先日の続編ですが、日本に引き揚げてきて我が家で父ときょうだい同然で育った菅原氏は私の祖父に学校を出してもらい、大陸ではぐれた父親が生きて北海道の奥高見にいることがわかりました。

 

 

kaigo-mind.hateblo.jp

 

母親はすでに亡くなっていましたが、やはり家族は一緒に暮らすほうがよかろうと、また知らない土地へ弟妹を連れて移住しました。

 

満蒙開拓団員だった父親は奥高見開拓団として入植していて、せっかく家族一緒に暮らせるようになったのにシベリア抑留生活のことなど聞かずじまいだったそうです。

 

この奥高見はアイヌの人たちが二度入植を手がけたものの失敗して撤退した場所だったそうです。

 

原生林ばかりの台地を開墾して耕作し苦労しながら住宅も建てたあと、町の中学の分校に勤務することになりその後苫小牧へ移住したと記されています。

 

その土地は結局離農者が相次ぎ今は道内最大規模のダムになり、すべては湖底に沈んでしまったそうです。

 

国の政策に煽られて満洲の開拓地に入植し、敗戦と共に見棄てられ、ようやく引き揚げてきて再起を図ろうとした場所が米も獲れないような土地だったなんて。

 

時代に翻弄され続けたふつうの人々がいたこと、それが私の親族にいたことを忘れてはいけないですね。

 

この夏、なぜか急に気になって仏壇に飾ってあった本を読んで改めて当時のことを学ぼうと思ったのでした。

 

 

 

 

わかりあえなさに注目するインタビュー講座

二重被爆者の山口彊氏のインタビュー記事を書籍化した尹雄大さんのワークショップに参加しました。

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私はこの本が彼の仕事と知らずに読んでいたのですが、やはり言葉の端々に感じるセンスがなんともいえず秀逸で気に入った部分に付箋を貼っていました。

 

尹さんには三週間前にお会いしたばかりで、この間に様々なことがありすぎてとても疲れていたのですが参加してみてよかったです。

 

kaigo-mind.hateblo.jp

 

 

まったく違う環境で気持ちがリフレッシュできたのと、アルツハイマー認知症が課題だったのもポイントでした。

 

今日も鋭い言葉をどんどん投げかけられて、拾いにいくのも一苦労でした(笑)

 

〇〇→感じる→思う→考える

感じる前の〇〇はいったいなにか?

 

インタビュアーとしての成功体験を話しても再現性がないし、やった気にさせるノウハウ本の乱立で経済が回るだろうけれどそれはしたくないと。

 

相手の話を正しく理解するより話を完全に聞く姿勢を身につける。

 

時間の先取りの焦りが相手を理解できなくする。

早わかりしないほうが感覚を捉えられる。

共感はプロセスに発生するものでゴールではない。

 

などなど。

 

慮る=気づかう≒顔色を伺う

は関係性によって変わる。

 

人はジャッジされないと気持ちよく話してくれる。

 

しかしインタビュー相手に巻き込まれたほうが何かメリットがあるかな?と感じたときに胸のアラームが鳴るらしく独自の感覚を大切にお仕事されてるそうです。

 

等身大の尹さんはとてもはにかみ屋さんで、切れ味鋭い文体からは想像しにくいふわっとした雰囲気でした。

 

無理せずそのままでも大丈夫なんだ、となんだか楽な気持ちになれた不思議な時間でした。

 

 

親とのサヨナラを想像してみよう

どんなお別れになるか想像通りになどいきません。

 

父は以前から長患いや延命治療を拒否していて、苦しまずにあちらへ行きたいと願っていました。

 

実際その通りになったのですから天晴れ‼︎としかいいようがありません。

 

日本人はあまり死について語ろうとしませんし、話題にすると縁起でもないと嫌う人が多いと感じます。

 

けれどこればかりは避けようのないことですから、ある程度の覚悟や想定は必要と思います。

 

できれば元気なうちにどんな思いでその日を迎えたいかなど聞いておけるといいですね。

 

そしてなかなかいいにくい感謝の気持ちをきちんと伝えておけるといいですね。

 

私のこれまでのイメージだと、たいがいなにかの病気で入院してしばらくそこで過ごし、時間経過と共に覚悟も決まってくるものと思い込んでいました。

 

祖父母がそうだったからです。

 

私は看取りの瞬間に間に合うか?そればかり気にしていました。

 

しかし現実は間に合うどころか、父はたった一人でさっさと向こうの世界へ行ってしまいました。

 

どんなに準備や想定をしていてもその通りになどなりません。

 

けれど日頃の思いや感謝など、自分の気持ちをきちんと伝えておけば後悔は少なくて済むのではないでしょうか。

 

妖怪のような若さの父でしたから、そんな日は来なくてもしかしたら私のほうが先かもしれないなどと思っていたくらいです。