のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

鬱の方と知り合って

たまたま福祉プラザで福祉用具を見ながら職員さんとお話ししていたら、通い慣れた雰囲気の方が話しかけてきました。

 

近くにお住まいで、長く鬱を患っているというお話しでした。まったく普通の見た目ですし、きちんと会話も噛み合います。

 

鬱の中でも珍しいタイプの種類らしく、診断がつくまで長くかかったとのことでした。

 

遡ること28年前のママ友さんが、きっかけになるスイッチを押したらしいです。幼稚園児だったお子さんは既に30過ぎの社会人です。

 

調子が悪くなると入院という流れになるので夫が困らないよう、春夏秋冬の入院セットを荷造りして押入れに準備していると聞いて、ちょっとザワッとしました。

 

もしかして入院ありきで生きてる⁈

 

私の素人考えです。一度でも患った方からは見当違いも甚だしいと怒られるのは承知の上です。批判ではなく、私がそう感じたということです。

 

毎月の定期受診も、わざわざ○應病院へ通院しているという、一種のステータス感みたいなものを感じました。

 

ある日ランチをご一緒しました。他の知り合いもいる場所でしたが、常時ご自身のことにしか関心を示さない様子でした。

 

食後に精神系のお薬を飲んで、副作用で便秘が起きるからそれを穏やかにするためのお薬も飲んで…効果あるんでしょうかね。

 

飲んでいるからこの程度で済んでいるという解釈。

飲まないと不安だから、拠り所になるようなものを処方されてるという解釈。

 

もっと違うアプローチもありそうですが、選択している本人が他の方法を選ばなければそのままなんでしょうね。 

パパは司令塔

日頃認知症の母のお世話をしている父ですが、つい自分ですべてを引き受けてしまう悪い癖があります。

 

責任感があってとても助かるのですが、場合によってはいらぬトラブルを引き起こすことになります。

 

なにもかも一人でやれるはずはないのだ、といくら言ってきかせても返事だけは立派で、自分だけで解決しようとするのです。

 

それは緊急時ほど顕著で、ケアマネが休みで連絡が取れないお泊まりで高熱を出した、インフル発症したなど、早い対処が必要だけれど周りの協力なしでは対応できないケースです。

 

 

いつまでも一兵卒のつもりでいると言うので「既に上官もしくは司令塔ですよ」と説明しました。

 

 

ケアマネさんに相談する、ヘルパーさんに指示を出すのがあなたの仕事であって自ら奔走するのは違いますと指摘しました。

 

実はこの週末もお泊まりで母が発熱しました。

 

季節の変わり目や脱水、長いお泊まりの環境変化など些細なことで体調を崩しますが、受け入れ先の対応がいつもきちんとしているのと、受診先のドクターやナースまで知り合いなのでさほど心配はしていません。

 

毎回びっくりしていたら、心臓がもたないです。

私が不在でも親の不安を取り除ける

父のフルートの先生が、私の不在時父を脳神経外科へ送迎してくれました。

 

先生のお宅近くのクリニックだからついでというのもあったかもしれません。

 

タクシーを手配すれば自力で行けますが、通院に付き添いがあるのは本当に心強いものです。

 

なにかしら不調がある時は不安で、慣れた道の運転も戸惑ったり、ドクターの説明や窓口での会計時いろんな書類を渡されてもよくわからなかったりします。

 

そんな時、冷静な誰かがそばにいるだけで本当に楽になれるのです。

 

診察が終わるまで一緒にいてくれて帰りも家まで送ってもらえたら、そんなに深刻にならなくていいんだ‼︎とすら思えます。

 

そしてフルートの先生は夕方私に電話で報告までしてくれました。

 

演奏の勘が戻ってきたこと、お話もきちんと噛み合うこと、ドクターは運転にオーケーを出したけれど私の次の帰省までは控えてるんだ〜と話していたこと。

 

掛かりつけ薬局の薬剤師さんは「先ほどお父様が処方箋を持って来られました。各科目ごとのお薬の統廃合や飲み合わせの説明をさせて戴きました。お元気そうでしたよ」とLINEをくれました。

 

ありがたすぎて涙が出ます。

 

文字も書けるようになり、私に封書が届いたのでもう大丈夫なようです。

 

ただし長年に渡る介護疲れがリセットされたわけではなさそうですから、もう少し養生しながら楽しい時間を多めに取るように意識します。

 

父も、母を入所させると寂しくなり生きる張り合いをなくすのが本音でしょう。

 

それならお泊まり日数を増やしたり、訪問ヘルパーさんをもっとお願いしたりで対応するよりありません。

アドラー勉強会

時々お若い方たちの集まりに参加させてもらいます。

 

アドラー心理学をシリーズで教えて戴けるので、無理せずに行ける時だけです。

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日頃の生活でアラサーの若者との接点はあまりないので、彼らがどんなことを考え興味を持っているのか知るだけでも新鮮な気持ちになります。

 

「人間の悩みは対人関係の悩みがほとんど」

 

といわれるなかで、悩むと便利だから悩みを使っている。では悩みを使ってなにをしようとしているのか?との問いかけに対し、みんなでディスカッションしながらグループワークをすすめていきました。

 

悩んでいる人の心理は

                        悪いあなた

                       かわいそうな私

という構造で、かわいそうな私に同情してもらえる、自分を正当化する自己保身のため悩みを使っているとのことです。

 

そして繰り返し学ぶ「課題の分離

 

ライン既読スルー問題に重ねての解説で、自分の問題は返信がないことにどう対処するか。相手の問題は返信するかどうかである。ということで

 

相手が返信するかどうかの課題に介入してはならない。返信がほしければ返信がもらえる工夫と、返信がなくて悲しかった気持ちを伝えるといいですよ、とのことでした。

 

気をつける点はIメッセージを使うことで「私は返信がなくて悲しい」と相手を責めるのではなく、私を主語に伝えることだそうです。

 

我々はどうしてもお礼や承認を求め、それがないとイライラしがちですが「他者貢献感」を持つことでかなり軽減されるのではないか、ということでした。

 

では他者貢献とはなにか?

 

仏教でいうところの無財の七施(眼施 和顔悦色施 言辞施 身施 心施 牀座施 房舎施)を例にお話は続きました。

 

人はしてあげた行動は覚えているがしてもらった行為は殆ど覚えていないものらしく、布施をするときは私が誰になにをしたかを忘れるよう意識しましょうとのことでした。

 

いつもその場ではわかったつもりになりますが、実生活で行動してこそ!ですね。

境界線が曖昧だった

17年ほど前に、実家に隣接するお宅のご主人から「境界線が曖昧だから再度調査したい」という申し出がありました。

 

もともとウチの土地を親族に売却し、その後現在の持ち主に転売されたものでした。

 

戦後すぐのどさくさで、今のような測量技術の正確さはなかったようです。

 

測量士さんを頼んでもう一度調査してもらって、間違いを訂正し正確な境界線に新しくフェンスを作りました。

 

先方は少しでも所有地が多く登記されていることを望んでいたようです。

 

これまでより我が家がほんの少し狭くなりましたが、正しい測量をしたので費用は折半しましょうと父が申し出ました。間違っていたのは誰のせいでもないからです。

 

こちらが言い出したのだから全額持ちますとか、やり取りがあったようですが双方納得する形での支払いをしました。

 

その後一家は少し離れた住宅地に新築の一軒家を購入しました。元の家は自営業の仕事道具置き場になりました。

 

それからしばらくして、ご主人が病気で寝たきりになりました。元の家にはご主人の兄弟が洗濯機や家財など、奥さんが1人で動かせないような荷物を縁側に持ち込んで嫌がらせまがいのことをするようになりました。

 

私の実家は両親共高齢のうえ母は要介護者なので、失火や犯罪が怖いのでどうにかしてほしいと奥さんに何度か訴え、片付けてくれたこともありましたがすぐに元に戻ってしまいます。

 

どうやらご主人のお父様が亡くなった際の相続の揉め事が禍根を残したようでした。

 

当然の権利だからと100%の主張をして争っても、気分の良い結果にならないようです。その時は少しの損に見えても、塩梅のいい落とし所を見つけられるとその後の調和を手に入れられるかもしれません。