のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

施設のスタッフさんから正直な連絡

母の義歯が紛失したと連絡があった数日後、今度は昼食後ソファで休憩していたら、目を離したすきにずり落ちて頭を打ったかもしれないと電話がきました。

 

スタッフさんもよくない連絡をするのは勇気がいるでしょう。

 

私も大概気を抜いて過ごしているところの不意打ちですから驚き具合も半端ないのです。

 

最近は「命に別状なければ相応の対応でいいや」と思うまでになり、すぐ行けないので経過観察と必要書類、医療費などきちんとしておいて欲しいとお願いするようになりました。

 

毎回驚いていたら命がいくつあっても足りませんから。

 

以前は父が対応してくれていましたから、クッション材があったのです。

 

今はすぐ駆けつけられる距離ではないし、たとえすぐ行けても専門的な対応が私にできるわけではないので、途中経過を聞きながら近くの叔母に繋いでもらっています。

 

母は取り敢えずなにもなかったように過ごしていたようで、それでも2回ほど私から連絡を入れました。

 

ユニットで一番母と仲良くしてくれているスタッフさんが母と電話を代わってくれました。

 

「あ〜う〜、わわ〜」というご機嫌そうな声が聞こえたので「ママ、楽しいの?ご機嫌なの?」などと噛み合わないなりに会話をしました。

 

毎度自分が試されているような気がしますが、構えすぎず驚きすぎず、最善の対応をしていくよりないようです。

陽極まれば陰に転じる

漢方講座で陰陽五行思想のお話しをしています。

 

この世界は陰と陽の2つで構成されており、どちらか片方だけでは成立しえないという考え方です。

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陰陽は互いに対立・抑制・助け合い・依存し合う関係性で季節や人間の身体にも当てはめて考えられています。

 

昼が陽なら夜は陰。男性が陽なら女性は陰。

 

面白いのは背中が陽でお腹が陰。なぜか?二足歩行になる前は背中がお日様に当たっていたからだとか。

 

陰陽はどちらか一方のみが存在することはありません。

 

人間は陰陽バランスが取れていれば健康で、崩れると病が発症すると考えられています。

 

今日は夏至なので陽の極みの日ですね。

 

陽が極まれば陰に転じます。

 

明日からは少しずつ陰が増えて秋分の日に昼と夜の長さが同じになり、そこから陰がどんどん増えて冬至の日に昼の長さが一番短くなり陰の極みになります。

 

陰が極まれば陽に転じます。

 

今度は少しずつ陽が増えて春分の日に昼と夜の長さが同じになり、そこから陽がどんどん増えて夏至に。昼の長さが一番長くなり陽の極みになります。

 

これを延々繰り返します。

 

人間の身体は陰陽どちらかが過剰だったり不足している場合は、過剰を排出し不足を補うという考え方をします。

 

漢方の処方にも同じ考えが使われますが、他のことにもいえますね。

 

興奮がなければ鎮静もない。禍福は糾える縄の如しなど、ものごとには両面あるといういい方をします。

 

古代の人はすでに気づいていたのですね。

 

 

的を射るVS的を得る

たまたま国語辞典の編纂現場というのをテレビでやっていて、これまでずっと「的を得る」が正解だと思っていたのに「的を射る」が正しいらしいと知りました。

 

しかし的を得るが使われる場面が多く、こちらを辞書に掲載するかどうか偉い人たちが会議をしているのでした。

 

知らない言葉を調べるのは昔は辞書で今は検索でしょうけれど、紙の辞書の信頼性はまだまだ高いと思います。

 

そこにたった一行こういう使い方もありなんだよと加えることに、これほどの労力を要するのかと驚きました。

 

編纂委員の方はいまどきの若者が使う流行り言葉にも敏感で、常に掲示板やSNSをチェックしているのでした。

 

そして疑問に感じた言葉はいったいいつから、誰がどんな場面で使いはじめたのか古文書に近いぐらいのルーツにまで辿りつく努力をしていました。

 

裏付けが取れなければ掲載できないということなんですね。

 

時代によって言葉は変化していきます。

 

現代では理解できないから古文の授業があるわけで、いつ頃からあのような文字や話し方がされなくなったのかわかりませんが、知るとなんとも奥ゆかしいような雅な気分に浸れます。

 

私が漢文に惹かれるのも、今では使われない言葉や言い回しなのにもかかわらず、感情は現代人となんら変わらなく似たような悩みや苦しさを表現しているからかもしれません。

 

今朝、慌てて食器を処分

実家がゴミ屋敷のまま東日本大震災で被災したので、そこから片付けスイッチが入りました。

 

なんじゅう年も溜め込まれたモノを出すだけで疲労困憊。毎月新幹線で通い介護と並行しながら4年の歳月を費やしました。

 

ライフスタイルが変化したのに昭和の価値観のまま年齢を重ねた親を説き伏せるのに一苦労。

 

魔窟からわけのわからない生活用品を引っ張り出すだけでヘロヘロ。

 

田舎のリサイクル屋さんは電話一本ですぐ来てくれないうえ、処分費用がもったいないからと自治体の業者さんを頼めとか文句と執着タラタラ。

 

引き取り日まで滞在できず千葉へ戻ると、勝手にキャンセルされて元の場所に戻されてるとか日常茶飯事。

 

あげく母が救急車を呼んでもゴミ屋敷すぎて担架を出せず、裏窓から搬出する始末。

 

救急隊員さんの前であれは本当に恥ずかしかった。

 

家も庭も広いのになんで搬送できないの⁇っていう。

 

無駄な葛藤で多くの時間をロスしましたが、バリアフリー改修までこぎつけ、車椅子で室内移動できるようになりました。

 

しかし我がことはいつも後回し。疲れて片付けもできていなかったので今朝、高い場所にしまっていた食器を処分しました。

 

少しだけスッキリしました。

大家さん的地震発生時の対応を再確認 連絡手段を持たないのは助からないのと同じと心得よ

実家でピアノ教室をやっています。

 

私が滞在中であれば地震発生時も対応できますが、千葉の自宅にいるとどうにもなりません。

 

今朝すぐに管理会社の担当さんに連絡して、緊急時の対応方法、避難経路を貼り出す等の対策を確認し保護者さん講師さんらと情報共有する運びになりました。

 

担当さんは先日頼りないメンズに変わったばかりでLINEの使い方がわからないという有様で、こういうとき非常に困るのです。

 

会社としても業務端末を与えているのですから、きちんと指導してほしいものです。

 

多くの生徒さんをお預かりしているのですから「わからない」では済まないのでは?

 

前の担当さんはそこのところきちんとしていますが、部署が変わってまで私の教室の面倒を見きれないでしょう。

 

上司の方にも連絡しておきましたが、在宅介護しながら教室管理が疎かだっただけに、なんだか軽く見られているような気がします。

 

実家は東日本大震災の被災地です。

 

当時、固定電話は繋がらず携帯も持たない両親と4日間連絡が取れず生存確認できませんでした。

 

その後、父は80の手習いですらすらメールを打てるようになり、認知症の母の介護を毎日連絡できるようになりました。亡くなる3時間前まで私とメールしていました。

 

何度も繰り返ししつこく発信してますが「携帯なんていらない、覚えるの面倒だしかける相手もいないし」という人々にひとこと。

 

命が惜しければなにかしらの連絡手段を持ちなさい。あなたがよくてもこちらは迷惑ですから。