のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

休み方を知らないと身体がアラームを鳴らす

頭だけで疲れを判断しないほうがいいようです。

 

若い頃ならそれでもいいでしょう。

 

しかし加齢で体力気力が下り坂のタイミングに親の介護が重なると自分の限界がわからないものなのです。

 

もっと大変な人もいるのに。

 

このぐらいで弱音を吐くなんてできない。

 

まだ限界じゃない。

 

頑張ってないと思われたくない。

 

どれも私自身が感じていたことです。

 

でもね、もうそろそろ疲れを認めましょう。

 

自分を労われるのは自分だけですから。

 

介護は身体介助だけでなく、面倒な書類や手続き、ケアマネさんや役所とのやり取りも含みます、というよりそれらによって消耗します。

 

慣れた専門職の人なら毎日のことですが、ケアラー(介護者)にとってはどれもこれも初めてだらけです。

 

どちらかというと気力が先に尽きてしまうかもしれません。

 

ちょっとした気晴らし、カフェでぼんやりお茶するとか街をぶらつくとか本当に些細なことで救われるんです。

 

整体やマッサージもいいと思いますよ。

 

本当に動けなくなる前に先に休みましょう。

 

私は胸がつかえて食べ物が喉を通らなくなっても理由がわかりませんでした、というよりただの疲れだと思いたくて放置していました。

 

身体はもう限界だから助けて、休んで、と私に訴えていましたがつい無視していました。

 

気づけなかった私に友人から指摘が入り検査すると酷い貧血とメンタルからくる消化器官の異常がわかりました。

 

一度よくなりましたがすぐ再発し今に至ります。

 

もうね、思い切って行方不明になってもいいかもしれませんね。

 

 

夢の叶え方 1割の計画性だけでかこさとし記念館へ

幼少からだるまちゃんシリーズや玉子とにわとりの絵本など「かこさとしかがくの本」の大ファンでした。

 

2年ほど前に都内で展覧会がありましたが期間が短く行けずじまいでした。

 

からすのパン屋さんシリーズは復刻版でセット販売までされているし、なんとかまとめて見ることはできないだろうか?(書店ではなく展示の形で)

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どうやらかこ先生の地元に記念館があるらしい。

 

そこまではわかりましたが果たして絵本の展示のためだけに福井まで行くのってどうなの?

 

とは思いつつやっぱり行かないと死ぬとき後悔しそうです。

 

これまでなら最小コストで最大パフォーマンスをあげようと事前に調べたり計画したりしていましたが、もうそんなことに興味も失せ成り行き任せにしてみました。

 

一割の計画性と九割の偶発性ですね。

 

福井駅前や武生駅前の案内所で親切に教えていただき、巡回バスで乗り合わせた地元民とお喋りを楽しみながら記念館に到着しました。

 

派手さはありませんがかこ先生の著作物の大半がありファン垂涎の場所です。

 

からすのパン屋さんやだるまちゃんのコスプレ衣装もあり撮影コーナーが設けられています。

 

歴史ものや元素記号をわかりやすく解説した本があることも初めて知り、スタッフさんが熱く語るので後から買うため写真を撮っておきました。

 

「これ教科書にしたいぐらいですよ」というほどの内容で勉強嫌いの大人でもすんなり入っていけそうな構成です。

 

アンケートを書くと遠くから来てくれたからと非売品のポストカードと栞をいただきました。

 

お昼は親切に越前そばの有名店まで案内していただき初めておろし山かけそばを食べました。

 

巡回バスの中はかこ先生が作詞した曲が流れていたり、越前市の成人式はかこ先生の色紙がもらえるなど地元の方に教わりました。

 

成り行き任せのわりに出会う人々に親切にしていただき、さほど調べずとも充分すぎるほど満足できた旅でした。

 

利他は巡るもの

やはり世界は繋がっていますからね、って突然スピリチュアルなはなしをするわけじゃなく自因自果というほうがわかりやすいのかな。

 

利他の心は大袈裟なことじゃなくごく些細な、そこが痒かったのよ〜みたいなことに気づける感覚かもしれません。

 

以前書きましたが私は近所でよく道を聞かれます。

 

検索してもわかりにくい病院が近くにあり皆さんつまづくところは一緒。

 

途中まで合っているのにそこから先がよくわからない。

 

そうなるとその辺の人に聞くよりないわけですが、なぜ私を選ぶのか。ほかにも歩いている人はいるのに。

 

男性より女性のほうが聞きやすい。

 

ジャージ姿の地元民スタイルだから知ってるに違いない。

 

機嫌よさげに見える(だから親切かも?)

 

などの観点からとりあえず声をかけてみるのでしょう。

 

概ね間違っていません。

 

訊ねられたらできうる限り丁寧に説明します。

 

あまり複雑なケースだと目印になる建物まで教えて、そこでもう一度質問するようにと付け加えます。

 

高齢な方は説明だけで理解できずにいたので近くまでお連れしたこともありました。

 

あ、別に私が親切で優しい人だとかそういうわけじゃありません(笑)

 

利他とは結局自分が気分良くなれるものですからもったいぶるよりどんどんギブするほうが巡りがよくなります。

 

わずかなゆとりや余白が次のギブにつながり、忘れたころに自因自果というオマケがついてくるようです。

 

お墓参りだけが供養じゃない

亡き人の足跡を辿る小さな旅。

 

たとえば暮らしていた場所、行きつけのお店、所属コミュニティへ行ってみる、お付き合いのあった人に直接会ってはなす。

 

これらは形式的なお墓参りや法要などよりよほど供養になると思います。

 

現実的には難しいですけれどね。

 

立派なお墓や仏壇を用意するよりもご先祖様とより近くいられると思うのですが。

 

私は父が毎年お仲間と集まっていたお店をときどき訪れています。

 

大将も女将さんも若い頃の父をよく知っていて、そこへ行くと肉体はなくなってしまったけれど父がそばにいることを実感できるのです。

 

年度末の忙しい時期に集まり私にだって都合があるのに無事帰宅できるか?とか浴室で溺水してないか?など心配するぐらいならとわざわざ帰省しお店まで送迎していました。

 

日程調整できないのかな。

 

頭の凝り固まった高齢者の集まりですからね、時期やお店を変更するなど変化に対応できません。

 

私はしぶしぶ毎年その時期に合わせて帰省していましたが、今思えばこんなに素晴らしい体験はなかったかもしれません。

 

春先に訪問すれば「のぞみちゃん、昨日取ってきたから山菜持っていがいん」とワラビを持たされ、夕飯用に揚げた子蟹を包んでくれたりいつも良くしていただきます。

 

あれ、こんなに幸せでいいのかな。

 

日程を合わせるのがやや苦痛でこの行事はいつまで続くのだろうと思っていましたが、父が旅立ったことで集まりは解散しました。

 

みんな高齢でかつ自分や連れ合いの健康状態が思わしくなくなってきたからです。

 

後日代表の方から商品券が届きお花を買って仏壇に供えました。

 

「パパ、皆さんからのお花だよ、よかったね」

 

きっと喜んでるはず、と私なりに勝手な解釈をしています。

 

親の言動がおかしくなったらセカンドオピニオンも意識して

妖怪並みの若さの父の言動がおかしくなったのは2017年4月でした。

 

脳神経外科MRI撮影したところ「小さな脳梗塞が2つと帯状疱疹の跡が悪さしてる」というお見立てで血流を良くするお薬を出されました。

 

アルツハイマーではないとわかり安心して帰宅すると、ヘルパーさんが「うちの母もそこの病院で血流のお薬を処方されたんだけど、レビー小体型認知症なのを見落とされたのよ」

 

と言うではありませんか。

 

すっかり安心していたのに頭から冷や水を浴びせられたような出来事でした。

 

「悪いこと言わないから、もう一箇所病院へ行きなさい」

 

とアドバイスされ母のケアマネさんを通して、なかなか予約の取れないMRAの撮影もできる病院の予約をしました。そこは母を最初に連れて行った病院でした。

 

ヘルパーさんのひとことで私の安堵感は一瞬で覆されました。

 

私は父の通院付き添いと撮影後の読影診断を母の介護と並行しながらするため、千葉からの帰省の頻度を増やすことしました。

 

その頃から身体の異変を感じていましたが「漢方薬も飲んでるし鍼灸治療も受けてるから大丈夫」と頭で判断して自分を置き去りにしていました。