のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

小麦粉に対する拒否反応

圏央道が開通し厚木PAができました。まだ新しく、特にお手洗いは女性目線で作られており心憎い仕掛けが至る所に施されています。

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売店には横浜元町のキタムラのバッグまで売っています。

 

レストランもB級グルメエリアがあり、先日うっかり興味本位で浪江焼きそばを注文しました。

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焼きそばといえば富士宮石巻などもご当地グルメとして頑張っていますね。

 

さほど空腹だったわけでもなく、帰宅するまでの繋ぎにちょうどよい選択だと思いました。

 

浪江焼きそばはうどんのような太いモチモチ麺で濃いめの味付けです。その時、自分がグルテンフリー生活をしていることは横に置きました。

 

拘りすぎは人生をつまらなくします。

 

さて翌朝目覚めるとなんだか胃もたれでムカムカし、前日の雨でついでに風邪まで引いたようです。

 

ここ数年パスタやラーメンなど口にしない生活をしています。食べたら食べたで美味しく感じますが、あとあと具合が悪くなることが多くなりました。

 

小麦製品を完全に断つのは無理なので、ゆるくやっていましたがお陰で花粉症が治りました。それだけで上手くいくとは限りませんが私は乳製品も摂らないので参考になればと思います。

 

なにがいいたいかというと浪江焼きそばを責めているわけじゃなくて、食生活で身体は変われるということです。

 

私たちはすぐに結果を欲しがりますが、変化が目に見えるまでに必要な時間は人それぞれです。

 

急にベジタリアンになるなど3日も続きませんね。

 

小さな変化を捉えながら時々失敗して、楽しく改善できたらいいですよね。

認知症予防はオーラルケアから

8020運動などといわれていますが、自分の歯を大切にできていると認知症になりにくいのは本当だと思います。

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自分の歯を失ったとしても噛み合わせの合う義歯できちんと食事ができている、食いしばることができるのはとても大事です。

 

歯はそのまま健康状態、認知機能、転倒防止に繋がります。

 

数年前、訪問歯科医さんのセミナーに参加した時も様々な資料で説明され、その時はぼんやりしかわかりませんでしたが、今ははっきりわかります。

 

今、母の義歯の具合が悪く、長年通っていた段差だらけの歯科でだましだましの対応で様子見していましたが、いよいよ支えの自分の歯もグラつき総入れ歯へ移行するタイミングにきています。

 

友人のお母様が入れ歯の誤飲で誤嚥性肺炎を起こし亡くなられたので、この危険な状態を放置できません。

 

母が歩ける頃から段差だらけの歯科にカルテがあるという非常にくだらない理由で通い続けていましたが、治療は適当でバリアフリーにする気すらない医療従事者に見切りをつけ、介護施設に訪問してくれるドクターと契約しました。

 

治療方針の説明も明快でわかりやすく、様子見などという便利な言葉を使わず手を打っていきます。

 

きちんと食べられなければ身体は衰弱していきます。

 

介護者も「仕方がない」といわれるがままにせず、積極的な治療に参加すべきと思います。

 

高齢者にありがちな「これまでお世話になった先生だから」「ずっと通っているから」といったなんのメリットもない話を間に受けず対応しましょう。

 

わずかな方向転換で思いもよらない良い展開にもなりますから。

私自身が時間泥棒かもしれない

認知症介護者の交流会に参加すると、皆さん話を聞いてほしい人ばかりで正直どんどん気持ちが落ちていって、ここに居場所はないなと判断しました。

 

共感・共鳴できる場という捉え方をするなら自分一人じゃないんだ‼︎と思えますが、そこから先が見えず常に現状を嘆き合うのに違和感を覚えました。

 

治らない、治療方法はない、進行を緩やかにするお薬しかない。

 

本人が穏やかに暮らせるよう周りがお手伝いするしかない。

 

それらを受け入れられない人たちが何年も同じ話をしているようにしか思えませんでした。

 

最初の頃の自分もそうだったなぁと思い出し、状況変化を受け入れられなくてただ苦しくて、誰でもいいから話を聞いてほしくて、でも求める反応が得られず辛かったのでした。

 

現状を嘆くばかりでは聞かされる相手にとって私は時間泥棒だったでしょう。

 

で、どうしたいの⁈

 

ということでしょうか。

 

私が求めていたのは水先案内人のような人だったのだと思います。

 

私に関わって下さった多くの方が、傾聴してくれたり手続きの仕方をアドバイスしてくれたりしましたが、私が本当に求めていたのは母の病状を受け入れず自分だけでどうにかしようとする父を諦めさせたい。だったのだと思います。

 

これまでと変わらず暮らしたいのに勝手に徘徊して警察沙汰を起こす、失禁、激昂・・・

 

その度に怒鳴り散らし、これは病気なんだと噛んで含めて話しても理解しない。これはいつか手にかけてしまうかもしれない。

 

そんな気持ちをずっと持ち続けていて、日々の生活も投げやりになっていました。誘導通りに動かない母を叱責し、それに疲れた父が介護殺人でも起こせば私も楽になれるかな、なんて本気で思っていました。

腕時計はしません

左肩甲骨が痛むようになってから腕時計をしなくなりました。それまで重い時計をしていたのですが、処分してオーバーホールなどのメンテナンスからも解放されて楽になりました。

 

では時刻はどこで見るのか?街中は時計が至る所にあります。なので時計をしていなくて困ることは殆どありません。

 

駅やコンビニ、銀行や病院の待合室、カバンの中にはスマホ、車にもパソコンにもDVDデッキにも床暖房パネルにも時計がついているので、今なんじなのか知ることができます。

 

腕時計のある生活 <腕時計のない生活

 

持たないことで、長いあいだないと困ると思い込んでいた思い込みが外れ快適を手に入れました。

 

おそらく、まだまだ知らない快適があるのでしょうね。

 

 

みんなと同じだと安心?

多くの日本人は幼少期より周囲から浮かないように、それを協調性と取り違えた価値観を押し付けられていると思います。

 

特に地方の田舎では。

 

周囲とちょっとでも異る振る舞いは確実に変な人扱いです。今は昔ほどではありませんが。

 

少しでも浮き足立っている、上手くいっている、成功している人のことを妬む輩は必ずいます。

 

え、そんなの人の自由じゃんと思うようなことも批判せずにはいられない、閉じた人間関係の中で好んで暮らす人々です。

 

やりたいことをやらない後悔のほうが大きいんじゃないでしょうか。

 

自由に振舞ってる人が勘に触るのも、自分ができないことを軽々やってるのが面白くないのでしょうね。