認知症介護者の交流会に参加すると、皆さん話を聞いてほしい人ばかりで正直どんどん気持ちが落ちていって、ここに居場所はないなと判断しました。
共感・共鳴できる場という捉え方をするなら自分一人じゃないんだ‼︎と思えますが、そこから先が見えず常に現状を嘆き合うのに違和感を覚えました。
治らない、治療方法はない、進行を緩やかにするお薬しかない。
本人が穏やかに暮らせるよう周りがお手伝いするしかない。
それらを受け入れられない人たちが何年も同じ話をしているようにしか思えませんでした。
最初の頃の自分もそうだったなぁと思い出し、状況変化を受け入れられなくてただ苦しくて、誰でもいいから話を聞いてほしくて、でも求める反応が得られず辛かったのでした。
現状を嘆くばかりでは聞かされる相手にとって私は時間泥棒だったでしょう。
で、どうしたいの⁈
ということでしょうか。
私が求めていたのは水先案内人のような人だったのだと思います。
私に関わって下さった多くの方が、傾聴してくれたり手続きの仕方をアドバイスしてくれたりしましたが、私が本当に求めていたのは母の病状を受け入れず自分だけでどうにかしようとする父を諦めさせたい。だったのだと思います。
これまでと変わらず暮らしたいのに勝手に徘徊して警察沙汰を起こす、失禁、激昂・・・
その度に怒鳴り散らし、これは病気なんだと噛んで含めて話しても理解しない。これはいつか手にかけてしまうかもしれない。
そんな気持ちをずっと持ち続けていて、日々の生活も投げやりになっていました。誘導通りに動かない母を叱責し、それに疲れた父が介護殺人でも起こせば私も楽になれるかな、なんて本気で思っていました。