のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

ケアラー(介護者)にとっての吐き出し口とは

10年に及ぶ認知症の母の介護はとても一言では表せません。

 

泣きそうなほどの孤独、病気の現実を理解せず世間に隠し通す父との確執、酷くなるばかりの徘徊で警察沙汰、流血事件、救急搬送、繰り返す失禁、転倒骨折、ノロウィルス、インフルエンザ。

 

いつもなにかに追いかけられているような感覚で心から楽しめない日々でした。

 

心身ともに限界値ぎりぎりでやっていました。

 

多くの人が手を貸してくれたお陰でなんとか10年お世話することができました。

 

遠距離介護といいつつも至らない部分ばかりで、掃き溜めのような実家の断捨離やバリアフリー改修も周囲に助けてもらいました。

 

そんななか、地元の県立宮城大学看護学部の学生さんたちが毎年在宅介護のインタビューに来てくれるようになり、少しずつ外に向けた発信をするようになりました。

 

そこから専門知識のある友人が手伝ってくれて介護に関する発信ができるようになりました。

 

このblogを読んだテレビ局のプロデューサーから連絡があり認知症の特番に呼んでいただきました。

 

母に合わない漢方薬を飲ませたことから漢方スクールに通い、そこから漢方講師のお話をいただきました。

 

自分のなかで介護生活を総括したいと思ってもどんな方法があるか、できるかわからない人が大半かと思います。

 

私は幸いなことにこれまでの体験を綴ったり語ったりできる場を与えられ、頭のなかを整理しながら生活できています。

 

周囲の人に恵まれたお陰です。

 

介護は人それぞれ立場も状況も異なりますから、急に誰彼構わず喋っても共感されにくいものです。

 

まして同じ境遇の人たちが集うケアラーズカフェに行ってもなんだか空振りのような気分になります。

 

私の場合「あなたは吐き出し口があって救われたんだね」という友人の言葉に膝を打ったのでした。

 

 

孤独死が怖くて急にオトモダチづくりに励む中年

1人で死ぬのが怖いからと、急にこれまでと違うコミュニティに参加して必死にお友達づくりに励む中年が増えているそうです。

 

いや、誰だって最期は1人でしょうが。

 

というかどんなに多くの友人・知人・家族に囲まれていても理想とする死に方なんてできないのが現実です。

 

それにたくさんの人に看取られ見送られても自分で確認できませんしね。

 

孤独死を防ぐためなのか、自然災害時の互いの安否確認をするグループLINEでやり取りして盛り上がっているようですが、そういう相手がほしいだけなのではと勘ぐってしまいます。

 

日頃からの関係性が築けてるんでしょうか。

 

私は幼少から孤独癖が強く、いずれ誰にも知られずひっそりこの世とお別れしたいと思っていて、それは今も変わりません。

 

親を2人見送って自分の責任はもう果たしたと思っています。

 

あとは歴代のご先祖様に失礼にならないような墓仕舞いをして自宅も処分して事務的な手続きまでしたらそこから先はどうにもできません。

 

それこそ神のみぞ知るです。

 

墓友探しをするシニア層も多いと聞きます。

 

みんな一緒に死ねるわけじゃないですしね、年齢どおりの順番にもなりませんから受け入れるしかないと思いますがそれじゃやっぱり寂しいんでしょうね。

 

1人で死にいくのがそんなに孤独なんでしょうかね。

 

そもそも孤独は恥ずかしいことなんでしょうか。

 

私がたまたま地域社会に恵まれ、幼少からの友人・知人がたくさんいて、親戚や近所づきあいがあるからそんなこと言えるんだろうと思われるかもしれませんが、高齢になったら入院しただの介護施設に入っただのでオトモダチごっこもできませんよ。

 

それが現実です。

 

 

母の爪切りが怖い

介護施設での爪切りは医療行為に当たるとは知りませんでした。

 

介護を卒業した今ごろ知っても遅いのですが。

 

では母の爪切りをどうしていたかというと、父がやっていたのですが老眼で眼鏡をかけていても肉まで切ってしまいそうでこわごわでした。

 

あるとき施設のスタッフさんに相談すると「こちらでしますよ〜」といってくれて悩みは解決しました。

 

あれ、それは施設のナースがやってくれていたのかな?

 

認知症の人はこれからなにをしますからね、ちょっとじっとしていてね〜と説明しても理解できないんですね。

 

抵抗されて怪我させたらスタッフさんの責任になります。

 

そういう事故は一度もありませんでしたが、結構皆さん困っていると思います。

 

安心して身体を委ねてくれればいいのですが、皆んながされて嫌なこといいことが同じじゃないのです。

 

もう一つは耳掻き。

 

これほどの恐怖はありません。

 

万が一動かれて鼓膜を破ってしまったらと思うと、なにもしないほうがいいのか、とか悩みました。

 

機嫌の良さそうなときに私と父で懐中電灯で照らしながらやったことがあります。

 

自分のことがわからなくなるって、爪も自分で切れないし、耳掻きもできない、トイレに行きたいかどうかもわからなくて連れて行ってほしいという言葉も忘れてしまう。

 

そういうことなんだな。

 

考えてる時間も介護

介護というのは食事やトイレや入浴介助することだけではありません。

 

離れた場所でもどうすればうまくいくか段取りを考えたり、介護グッズを購入したり、役所の手続きをしたり、もろもろ含めて介護なんです。

 

この見えない部分が理解されずらく説明も面倒です。

 

私の場合は新幹線で介護に通っていたので自宅で様々な調べものをしたり、実店舗で介護用品を購入して送ったり(ネットだと雰囲気がわかりずらい)お世話になっている人へお礼の品を手配したりしていました。

 

着いてすぐ仕事に取りかかれるよう、関係者にはアポを取っておいたり話をとおしておくのも介護です。

 

実家では食材の買い出しや調理を経てはじめて母に食事介助ができるので、後片付けまで含めて魔法のように一瞬で終わるわけではありません。

 

日々、地味なことの反復。

 

今やっていることと並行しながら別の作業をする。

 

それが日常でした。

 

デイサービスから母が帰宅したら連絡ノートに目を通し返信する。

 

翌日のオムツライナーの替えを母のカバンに入れる。

 

母の手洗いうがいをしたらゼリーかヤクルトを選ばせ一休みさせる。

 

テレビを見せているあいだにベッドメイキングやパジャマを揃えておく。

 

乾いた洗濯物を取り込んで畳む。

 

オムツの状態を確認しながら夕飯の支度。

 

茶の間の母をダイニングに連れてきて夕飯スタート。

 

食事介助は主に父で私は後片付け専門。

 

時おり私たちの会話に笑顔で反応して機嫌がいいんだなとわかる。

 

食後は父が電動歯ブラシで母の歯磨きをし、その合間に食器洗いと夜用オムツに交換しパジャマに着替え。

 

寝室へ連れていって寝かしつけてようやく自由時間。

 

クタクタになりながら今日の無事に感謝して終わる。

 

これいつまで続くんだろう?と虚しくなっていたのに、できなくなってもう1年、母とお別れして2ヶ月経ちました。

 

逍遥(しょうよう)この美しい響きのように振る舞いたい

漢方薬の名前にもなっている「逍遥」(しょうよう)という言葉を知ったのは三國志でした。

 

気の向くままぶらぶら歩く、散策する、のような感じで使います。

 

春の庭を逍遥する。とか。

 

私が悩まされている機能性ディスペプシアという、特に原因の特定のできないみぞおちのつかえや胃の痛みに、1日6000歩あるくよう鍼灸ドクターにアドバイスされ継続しています。

 

この飽きっぽい私が1年ぐらい続けているのですから自分でも感心します(笑)

 

同じ症状で苦しんでいる漫画家さんが鍼灸院でのやり取りを漫画にしていて、私と同じようにいわれたそうです。

 

それも「目的を持った散歩ではなく、気の向くままぶらぶらするように」と。

 

まさに「逍遥」

 

あ、これのことなんだ‼︎

 

知っていた言葉だったのにはじめて腑に落ちた瞬間でした。

 

そこから歩くために歩くのをやめ、そのときの「気」がどこへ向かうか自分を頼りに歩くことにしました。

 

その時間をわざわざ捻出するのも面倒なのですが、歩数確保のためではなく、自分の気の向かう先に従う感じですね。

 

けっこう様々な発見や新鮮な驚きがあります。

 

近所なのに知らない風景、お店、路傍の花。

 

効率的に動くことだけ最優先にしているとけして出会えない景色です。

 

だからどうなんだ⁇じゃなくて、そこでなにを感じてどう思うかですね。

 

そうやって心が動いているときはみぞおちのつかえも、長年悩まされている肩甲骨周りの痛みも不思議と忘れているものなのです。

 

逍遥の効果は計り知れないのでした。