のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

いつも新幹線の中で走ってる

実家に着いたらあれもしなきゃ、これも、あーーあの人に連絡するの忘れてた‼︎ゴミ回収日が、買い置きあったかな、あの人が来るって言ってたな、あの件はどうなってたかな…

 

座席で静かにお弁当を食べてるていでいますが、頭の中は常時フル回転。休まる暇がありません。車窓に広がる美しい那須連峰も吹っ飛んでいきます。

 

このまま逃亡しようかな

 

と思うことがたびたびあります。

 

私がいなくてもどうにかなるでしょ、とか。

 

冷静になって、結局やるんだから双方困らないようにやろうとなるのだけど。

 

仙台駅に着くと空気感や人の雰囲気、時間の流れる速度がまるで違います。実家に着くとさらにのんびりな時間が漂っています。

 

テレビを見ながらコタツでダラダラしていると、いつまでも娘のままでいられる場を持っていることを本当に幸せに思う。

 

夕方になると母がデイサービスから帰ってきて、頃合いをみて近所の叔母が惣菜を届けてくれる。18:30から母の介助をしながらの夕食が始まる。

 

もうずっと何十年も変わらない風景。

 

一時間半かけて介助しながらの食後は、いつも父が一人でやっている後片付けをしてオムツ替えなど母を寝かせる準備をします。

 

暖かいダイニングでパジャマに着替えさせて、寝室へ誘導しベッドに寝かせて布団で身体を包みます。これがけっこう重労働。筋力のないぐにゃぐにゃの身体に袖を通したりズボンをはかせるのは不安定で時々一緒に転んでしまいます。

 

転ぶと起こすのが大変です。なのでいつも身体のどこかが痛いのです。転倒させまいといつも緊張しているので、気持ちのゆとりもありません。

 

うまくいった日は本当にうれしくて、父とダイニングに戻ってからテレビを見ながらしばしお喋りして、父が無事入浴を済ますのを見届けてからようやく私も就寝準備をします。

 

こうして朝から走りっぱなしの一日が暮れていきます。

おばんです

地元宮城県で、こんにちわとこんばんわの間の黄昏時に使う挨拶言葉です。(夜でも使う場合もあります)

 

なんだか懐かしい、温かな響きがしませんか?

 

夕暮れの寂しくなる時間帯、なぜかソワソワして用もないのに早く帰りたくなる絶妙な頃合いに使うと郷愁感マックスです。

 

私の寂しがり屋の原点は、祖父母がよく使っていたこの言葉からきているようです。

 

そしておみょうにち

 

また明日、というなんとも優しい言葉。明日も会いましょうねという意味です。

 

いわれるとゾクッとしますね、嬉しくて。

 

若い人はもうどちらも使わなくなりましたが、もしどこかで聞く機会があったらイントネーションを楽しんでみて下さい。

 

花粉症からの寛解

今日ヨガスタジオへ行ったら、受付のお姉さんと生徒さんが花粉症ネタで盛り上がっていました。

 

「まだこれからが本番よね〜」「一番強い薬も効かないんだけど〜」「ヤバイよね〜」

 

はい、はい。数年前までのわたしもそうでした。今となっては懐かしい。

 

発症したのはかれこれ17年前。目の痒み、透明な鼻水。あれ、もしかして?すぐ耳鼻咽喉科へ行き、お決まりの薬を処方されました。

 

それから地方転居のたびに、その土地の草木に反応して瞼の下が赤く腫れる、唇が叶恭子様のようになるなど様々な症状に悩まされました。

 

後に漢方スクールで水滞だと教わりました。

 

薬に頼り続けるなんて嫌だ‼︎アロマや漢方を習ううちに、根本からどうにかしたいと思い自分には何が合うのか実験してみました。

 

まず乳製品をやめました。完全になくすのは難しいので、多少ならOKの緩いやり方です。でも牛乳は3年ぐらい飲んでいません。ヨーグルトも食べません。

 

グルテンフリーも試しました。パン、ケーキ、うどん、焼きそば、ピザ、パスタ、クレープ…小麦粉を使わない食品を探すほうが大変なので、できる範囲で。

 

流行りに乗ったわけでもなく、少しぐらいなら大丈夫と自分に甘いやり方でした。

 

バターたっぷりのクロワッサンにカフェオレが大好きでしたが、もう食べたいと思わなくなりました。蕎麦が嫌いだったのに、信州まで食べに行くほど好きになりました。

 

お辞儀するだけで涙と鼻水がボタボタ落ちてきたのに、今はちょっと鼻がムズムズするぐらいで薬のお世話になっていません。

 

少しずつやれそうなことを試して今に至ります。結果それまで知らなかった世界を見ることができました。

 

眼科の主治医にも「グルテンフリー本当に効くの?」とマスク越しに訊ねられました。

 

悩んでいる方はまず、一汁三菜の和食から初めてみませんか。面倒でも身体の中で良いサイクルが作られていくかもしれません。

 

 

あれほど捨てても学習しない親

先日、父が友人の葬儀に参列しました。会場は車で30分ほどの場所で無事帰宅しました。

  

翌日傘を忘れてきたことに気づき、また30分かけて出かけて、当然間違えて持ち帰られたわけですから汚れた傘しかなかったそうです。

 

忘れた時点でそこまでの話なのに、わざわざ行って誰かの忘れ物のボロボロの傘を持ち帰ってきました。

 

お前はアホか

 

忘れたのは手放し時だったのに。人もモノもタイミング良く自分の元から去ってくれるのに。あれだけ大量のゴミを捨ててもまだわからないらしい。

 

モノに対する異常な執着。だから上手くいかない。だから人が離れていく。だから目の前の出来事との齟齬が起きる。

 

流れに逆らうから余計な面倒まで引き寄せる。

 

と偉そうに批判する私ですが、本当は会場までの30分の気晴らしドライブがしたかったこと、日頃話す機会のない受付の人とお喋りしたかったこと、傘は理由づけでしかないことは理解しています。

臨床宗教師と四次元セッション

臨床宗教師でもある奈良十輪院の橋本住職に四次元世界のお話を伺いました。

 

そもそも臨床宗教師とは、東日本大震災の青年僧ボランティア活動から発展し、岡部健ドクターの提唱により東北大学に心の相談室を開設、遺族の心のケアを行う。布教・伝導は行わず相手の価値観を尊重し、傾聴、寄り添いを行なっている。

 

私の宮城県の実家も被災しましたが家族は助かりました。しかしそう離れていない場所で、多くの命が失われました。

 

未だにご遺体の見つからない方もいて、帰省時ローカルニュースを見ていると、行方不明者の似顔絵を映して捜索を呼びかけるコーナーがあるのです。

 

さて肉体なきあとの魂(心)はどこへ行くのでしょう?我々三次元世界で暮らしていると形なきものは見えませんが、四次元世界では確かに存在するという事です。

 

本有(生存世界)→死有(臨終)→中有(49日)→生有(次の世界)の繰り返しだそうです。これが魂(心)のサイクルだそうです。

 

ただし本有での生き方で六道(地獄 餓鬼 畜生 修羅 人間 天上)のどれに生まれ変わるかはわかりません。

 

天上は望まないけど人間になりたいなぁなんてボンヤリ思いました(笑)