のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

認知症の親が徘徊で事故を起こしたら⁇

母の徘徊に悩まされた介護時代

たそがれ症候群ともいうらしいですが、夕暮れ時になると生まれ育った家へ帰りたくなるようですね。母はアルツハイマーの中期になると徘徊がはじまり警察沙汰の毎日でした。

info.dual-life.site

保険商品がある

記憶に新しいところでは2007年愛知県で当時91歳の男性が線路内に立ち入りはねられて死亡したことによりJR東海から損害賠償請求を起こされました。

https://mainichi.jp/articles/20200622/ddm/013/040/043000c

もし身内に認知症の人がいなければ「家族はなにやってるんだ、ちゃんと見ておけよ」と思うでしょう。しかし同じ立場となると「もし自分の親だったら支払えないな、どうしよう」となるわけです。

 

近年認知症の人が起こす事故をカバーする保険が登場し私も注目しています。また自治体も民間保険を活用して認知症の人を救済する動きが出ています。

 

親御さんが若いからまだ先と思わず意識の片隅においておきましょう。

やめどきを知らせるアラーム

庭仕事は重労働

今月は実家の庭仕事を自分なりに工夫してみたところ2ヶ月も不在だったわりにはすっきりしました。しかし自宅に戻ってしばらくすると左手親指に違和感が。曲げた第一関節をまっすぐ戻そうとするときの痛みにこれはなんかあるなと思い整形外科へ。

腱鞘炎

10年ほど前に通っていた整形外科を訪れてレントゲン撮影してから受診しました。

 

最初ドクターは画像を見ながら「あなたぐらいだとなにもしてないのに折れるということはないですよ、ぶつけましたか⁇」と左手をさまざまな方向へ曲げ伸ばししながら痛みの箇所を確認されました。

f:id:nozosan-net:20200620181047j:image

親指の内側は曲げる筋で、やはり剪定鋏を握って酷使したことによるばね指とのことで塗り薬を処方されました。「塗って2週間ぐらい休養しても痛ければまた来て、注射するから。それも痛いけど」

 

そんなわけで庭仕事以外も少しお暇をいただくことにしました。リップクリームのキャップや袋を開けたりも辛いので。

なにもできないおじいさんの未来

生きるために必要なのが家事

若い頃あるお宅にケーキ持参でお邪魔しました。その家のお母さんが不在でお父さんが「どこになにがあるかわからん」といいながらフォークやお皿を探していました。奥さまに家事いっさい任せきりで自分の母親も同居し長男としてなにもさせられずにおじさんになった人でした。   f:id:nozosan-net:20200620181231j:image

なんともいえない違和感

長男だからと母親から大事にされ儲からずさしてやる気のない家業を継ぎ、新たに所帯を構えるでもなく同居を選び嫁姑のいさかいも知らんふりでこのおじさん自分でなにかを選ぶとか決めるとかしたことあるのかな?と不思議でした。

 

私の父も長男でしたが祖父母も自分たちも共働きで座っていれば料理が出てくるような家庭ではありませんでした。自分も動かなければなにも進まないことは腑におちていましたね。

 

家事のやり方でよく母と揉めていましたが、敷地に別棟を建てて嫁姑問題が起きないようにしていました。

連れ合いが要介護になると悲惨

よその家のことは当事者がどうにかすればいいのですが、家事もできずに奥さまが要介護になると途端に露頭に迷いますよ。

 

先日もメモを渡されて買い物をしている高齢男性を見かけましたが、値段が高いか安いか、売り場のどこにあるのか分からず気の毒になりました。

 

1回かぎりのお手伝いなら子供でもできるんですよ。生きている限り毎日こなしていくのが家事ですし、連れ合いが意思疎通もできず身体が不自由になったら社会的地位や収入の高さが助けにならないことを実感するでしょう。

 

私はそりの合わない父の唯一尊敬できた点は家事万能だったこと。母のズボンのゴム通しまでできました。お陰で老々介護+遠距離介護が可能でした。

夕方の焦燥感は母の帰りが近づいてるから

16時過ぎると母が帰宅

デイサービス(日帰りリハビリ)は9時〜16時が一般的で送迎は基本家族が立ち会ってその日の報告を聞きます。申し送り的なものですね。

 

うちは施設から近いため送迎ルートの最初か最後になることが多く16時〜17時には待機しておかないといけませんでした。つまり母を迎えるまでに夕飯の支度とベッドメイキングをある程度まで済ませスタンバイしておくのが日課でした。

自由時間は少ない

9時にお見送りしてから朝食の後片付けや掃除洗濯、父の通院付き添いや買い物などしているとあっというまで「なにもできなかった」と思うことが多かったものです。

f:id:nozosan-net:20200619194530j:image

時間のかかる買い物で遠出するとすぐ夕方で片付けや衣替えが半端になるのが嫌でした。心の中はいつも「早く帰らなきゃ」でしたね。逆算しながら行動する癖がつき途中でアクシデントが起きても16時には帰宅できる段取りを組んでいました。

 

その習慣は今も根づいていて、時間感覚のズレた人と一緒だと苛立つため常に単独行動です。

 

魔窟となった実家を集中的に片付ける年月が続きそのあいだ近くの観光地など1度も行けませんでした。そのせいか今は少しでも自由な時間があれば好きに使いたいと思い、行きたい場所や会いたい人になるべく会うようにしています。制約のない自由時間は案外少なく人生は短いと悟ったからです。

コロナで飛行機が飛ばないと働く人はなにをしてるの⁇

成田空港は世界へ開く扉

キャビンアテンダントさんがマスクづくりをしたりのニュースはちらほら入ってきましたが、それ以外の業務をする人もいるわけです。じゃその人たちはなにをしてるのかな⁇

f:id:nozosan-net:20200618132503j:image

https://www.asahi.com/articles/ASN6F7GNXN6DUDCB006.html

まさかの農作業

地上職といってもオフィス事務や機体の整備点検などさまざまな職種がありますがまさかの農作業とは驚きです。

 

社の業務として他の会社で作業し契約料を受け取るのだそうです。なんだか意外な取り組みですがこんな機会でもなければ体験することもなかったでしょうから新鮮ですよね。

 

ほかに干し芋工場での仕事もあるらしく頭の使う部分がふだんと違いますよね。

 

私も庭仕事や農作業はお手伝い程度しかしていませんでしたが、やってはじめてわかることが多く整備された庭や形のよい作物をそれなりの目で見るようになりました。そこに至るまでの手間ひまが実感できるようになるんですね。

 

コロナでマイナス面ばかり取り沙汰されていますが視点を変えれば新たな発見もあるんですね。