のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

転倒しても起こせない

老々介護の現場で

花を撮影しながらウォーキングするのが日課なのですが咲きはじめのタチアオイの裏で立てなくなっている高齢女性をみつけました。片手に杖を持っているところから自力歩行はできるようです。駆け寄って介助しようにもガリガリの私では大柄の女性を支えるのは無理でした(母のときのやり方を忘れてしまった)

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そこへ杖をついたご主人がやってきて「早く車椅子持ってきなさいよ‼︎」などときつい口調でなじられています。「私は耳が遠くてね、この人はあなたに甘えてるんだからつかまり立ちできるしもういいよ、ありがとう」といわれなんの役にもたたず退散することに。転倒から起こすのってどうやるんだっけ⁇

 

聞けばもう20年ほど介護生活しているそうで大声をだす女性に通り過ぎる人々は関心を寄せるでもなくおそらくずっとこの光景は繰り広げられてきたのでしょう。女性は膝が痛くて運動できず太ってしまいそれで歩行困難になっていったようです。うちの母は痩せていたけれど筋肉がなくなりこんにゃくのようなダルダルの身体で転倒すると起こせずいつも緊張しながら介護していたことを思い出しました。やっぱり足腰を鍛えるのと太らないのが介護する・される双方にとっていいんですね。

汉语水平考试(中国語検定)

2人の老师

ディーンフジオカ似のイケメンと早稲田の現役留学生の2人に中国語を習っています。ディーンフジオカにはテキストの順番通り文法や発音を、留学生さんにはいまどきのトピックスを動画を交えて教わります(知らないドラマやアニメを紹介されます)そもそも趣味で習っていますから検定試験対策とかなにかになろうとしているわけではありません。つまり楽しめないことはやらないということですね。中国へ医療ツーリズムに行きました↓↓↓

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2人とも80后90后(80年代90年代うまれ)の若者ですから旬な感覚で教えてくれて助かります。留学生さんのお母様は天安門事件のとき学生デモ隊のなかにいてそのときの学生たちは共産党に入党できないそうです(あれから33年経つんですね)昨日は中国では自死する人はほぼいない、WeChat(中国版LINE)は文字より音声を残すほうが多いなど話題になりました。

 

2拠点暮らしの移動でなかなかまとまった時間をとれませんが学びと楽しみの両方を満たしてくれる2人の老师に感謝しています。

存在しない価値観をインストールされた私たち

成田悠輔先生の金言

ほとんどの日本人が幼少から塾通い〜受験勉強〜いい大学からいい会社へ入るための就活、そこから所帯を持って家を買ってみたいな人生双六に疑問を感じずにきましたが違うなと思う人が増えていますよね⁇

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先日の成田悠輔先生のトークでも存在しない価値観をインストールして時や場を埋める必要はないとおはなしされていて「あなただから言えるんでしょ」と突っ込みたい気持ちは脇においてもそうだよなと(麻布中高〜東大首席卒業。睡眠障害でほぼ不登校で予備校も塾も行ってない)天才のサイン↓↓↓

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存在しない価値をみんなで作り出してうまくいかないと責任をとらなきゃいけないのはフィクションじゃないかという成田先生の言葉に溜飲のさがった人も多かったかもしれません。

info.dual-life.site

うまく時間をつぶす能力も大切というのも頷けました。なんの役にもたたずそれをやっていて時間がすぎていく。つまり没頭ということですね。カリキュラムで埋められた生活から解放され物申す老人が増えるのも時間をつぶすすべを知らないから。なにが価値か考えなくても済む時間を取り戻すのが大事なのではとのことでした。

 

たしかに私もいまだに「これやってなんの役にたつかな」なんて考えますからね。面白かったのは

①会社をクビになる

②インスタのアカウントがなくなるだったら②が嫌という人が増えてるらしいというくだり。そういう時代なんですかね。会場が凍りつくような場面もたびたびありましたが楽しい時間を過ごせました。

食器のレイアウト相談

トータルで考える

10年以上かよううつわ屋さんで食器の相談にのってもらっています。母が集めた実家の食器処分が大変でしたから(食器棚4台ぐらいあって廊下にシェルフがはみ出していた)オール1軍で揃えたかったしセンスのいいオーナーさんと波長が合いインスタも相互フォローさせていただいて店舗にも立ち寄っています。

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あまり奇抜なデザインだと使いづらく用途を選び他のものとのバランスがとれません。少ない数でそこそこ気持ちがあがり大切に扱える、そんな食器を探しています。

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最近は買い足すものも特にありませんがおしゃべりついでにお店に行って推しを紹介してもらいレイアウトのしかたを教わります。このお店から両親に1人用土鍋を送ってそれを今は私が引き継いで帰省中も大活躍です。2軒の家の両方でお気に入りに囲まれています。

地方の田舎に匿名性なんてない

知らない人が私のことに詳しい

どこかでお会いしましたっけ⁇というまったく知らない人が私のことをどこそこで触れ回るなんてごく普通で呆れるというよりそこまで暇なんですかね。しかも情報まちがってるし。都会の人には理解できないと思いますよ。ご本人はおそらく清廉潔白で叩いてもほこりのひとつも出ないんでしょうね。

 

そういう視点で見える地域社会は狭くてそこしか居場所がないと息がつまって逃げ出したくなるでしょう。それかうまく順応したふりをしながら本音と違う振る舞いをするとか。本当の世界はもっと広いはずですからね、なんだか時間と心を無駄遣いしている感じです。昔ならいざ知らず今ならネットの普及で会うことすらかなわないような人と繋がれたりいい時代になりました。私もそれに救われています。

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地域のご意見番みたいな人はもう終焉を迎えるでしょう。本人たちはまるで気づいていないようですが時代についてこれないということはそういうことなんです。