治療も占いで決めていた
先日の東洋文庫の展示をおさらいしておきます。中国の古代王朝殷(紀元前17世紀〜前1046年)のころは治療に関することも政治や天候と同じく占いで決めていたそうです。古代文字が刻まれた甲骨が大量に出土したことでわかったんですね。
紀元前3世紀頃には内科医、外科医についての書物がみつかりこのあたりから占いによる診断治療から脱却したようです。総合医学書「黄帝内経 こうていだいけい」や生薬について書かれた「神農本草経 しんのうほんぞうきょう」伝染病について書かれた「傷寒論 しょうかんろん」が220年にかけて記されています。このあたりは漢方スクールのはじめに習いました。
当時すでに未病を治すという考え方があり病気になる手前で対処しようという養生思想が確立していたのですね。やはり常日頃の生活の積み重ねなんですね。「傷寒」は悪寒と高熱を伴う急性熱性病の一種で重態の場合6日ほどで亡くなるそうです。現在のインフルエンザや腸チフス、マラリアが含まれていたと考えられています。葛根湯の出典はここですね。
「温疫論 うんえきろん」で扱う「温病」は傷寒と違い寒気はなく咽頭痛や高熱を伴う急性疾患で重態なら7日ほどで亡くなるそうです。現在の天然痘やペストなどウィルス感染症が該当するようです。人類の歴史は病との戦いというより共存だったのかもしれませんね。