やはり世界は繋がっていますからね、って突然スピリチュアルなはなしをするわけじゃなく自因自果というほうがわかりやすいのかな。
利他の心は大袈裟なことじゃなくごく些細な、そこが痒かったのよ〜みたいなことに気づける感覚かもしれません。
以前書きましたが私は近所でよく道を聞かれます。
検索してもわかりにくい病院が近くにあり皆さんつまづくところは一緒。
途中まで合っているのにそこから先がよくわからない。
そうなるとその辺の人に聞くよりないわけですが、なぜ私を選ぶのか。ほかにも歩いている人はいるのに。
男性より女性のほうが聞きやすい。
ジャージ姿の地元民スタイルだから知ってるに違いない。
機嫌よさげに見える(だから親切かも?)
などの観点からとりあえず声をかけてみるのでしょう。
概ね間違っていません。
訊ねられたらできうる限り丁寧に説明します。
あまり複雑なケースだと目印になる建物まで教えて、そこでもう一度質問するようにと付け加えます。
高齢な方は説明だけで理解できずにいたので近くまでお連れしたこともありました。
あ、別に私が親切で優しい人だとかそういうわけじゃありません(笑)
利他とは結局自分が気分良くなれるものですからもったいぶるよりどんどんギブするほうが巡りがよくなります。
わずかなゆとりや余白が次のギブにつながり、忘れたころに自因自果というオマケがついてくるようです。