のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

利他は巡るもの

やはり世界は繋がっていますからね、って突然スピリチュアルなはなしをするわけじゃなく自因自果というほうがわかりやすいのかな。

 

利他の心は大袈裟なことじゃなくごく些細な、そこが痒かったのよ〜みたいなことに気づける感覚かもしれません。

 

以前書きましたが私は近所でよく道を聞かれます。

 

検索してもわかりにくい病院が近くにあり皆さんつまづくところは一緒。

 

途中まで合っているのにそこから先がよくわからない。

 

そうなるとその辺の人に聞くよりないわけですが、なぜ私を選ぶのか。ほかにも歩いている人はいるのに。

 

男性より女性のほうが聞きやすい。

 

ジャージ姿の地元民スタイルだから知ってるに違いない。

 

機嫌よさげに見える(だから親切かも?)

 

などの観点からとりあえず声をかけてみるのでしょう。

 

概ね間違っていません。

 

訊ねられたらできうる限り丁寧に説明します。

 

あまり複雑なケースだと目印になる建物まで教えて、そこでもう一度質問するようにと付け加えます。

 

高齢な方は説明だけで理解できずにいたので近くまでお連れしたこともありました。

 

あ、別に私が親切で優しい人だとかそういうわけじゃありません(笑)

 

利他とは結局自分が気分良くなれるものですからもったいぶるよりどんどんギブするほうが巡りがよくなります。

 

わずかなゆとりや余白が次のギブにつながり、忘れたころに自因自果というオマケがついてくるようです。

 

お墓参りだけが供養じゃない

亡き人の足跡を辿る小さな旅。

 

たとえば暮らしていた場所、行きつけのお店、所属コミュニティへ行ってみる、お付き合いのあった人に直接会ってはなす。

 

これらは形式的なお墓参りや法要などよりよほど供養になると思います。

 

現実的には難しいですけれどね。

 

立派なお墓や仏壇を用意するよりもご先祖様とより近くいられると思うのですが。

 

私は父が毎年お仲間と集まっていたお店をときどき訪れています。

 

大将も女将さんも若い頃の父をよく知っていて、そこへ行くと肉体はなくなってしまったけれど父がそばにいることを実感できるのです。

 

年度末の忙しい時期に集まり私にだって都合があるのに無事帰宅できるか?とか浴室で溺水してないか?など心配するぐらいならとわざわざ帰省しお店まで送迎していました。

 

日程調整できないのかな。

 

頭の凝り固まった高齢者の集まりですからね、時期やお店を変更するなど変化に対応できません。

 

私はしぶしぶ毎年その時期に合わせて帰省していましたが、今思えばこんなに素晴らしい体験はなかったかもしれません。

 

春先に訪問すれば「のぞみちゃん、昨日取ってきたから山菜持っていがいん」とワラビを持たされ、夕飯用に揚げた子蟹を包んでくれたりいつも良くしていただきます。

 

あれ、こんなに幸せでいいのかな。

 

日程を合わせるのがやや苦痛でこの行事はいつまで続くのだろうと思っていましたが、父が旅立ったことで集まりは解散しました。

 

みんな高齢でかつ自分や連れ合いの健康状態が思わしくなくなってきたからです。

 

後日代表の方から商品券が届きお花を買って仏壇に供えました。

 

「パパ、皆さんからのお花だよ、よかったね」

 

きっと喜んでるはず、と私なりに勝手な解釈をしています。

 

親の言動がおかしくなったらセカンドオピニオンも意識して

妖怪並みの若さの父の言動がおかしくなったのは2017年4月でした。

 

脳神経外科MRI撮影したところ「小さな脳梗塞が2つと帯状疱疹の跡が悪さしてる」というお見立てで血流を良くするお薬を出されました。

 

アルツハイマーではないとわかり安心して帰宅すると、ヘルパーさんが「うちの母もそこの病院で血流のお薬を処方されたんだけど、レビー小体型認知症なのを見落とされたのよ」

 

と言うではありませんか。

 

すっかり安心していたのに頭から冷や水を浴びせられたような出来事でした。

 

「悪いこと言わないから、もう一箇所病院へ行きなさい」

 

とアドバイスされ母のケアマネさんを通して、なかなか予約の取れないMRAの撮影もできる病院の予約をしました。そこは母を最初に連れて行った病院でした。

 

ヘルパーさんのひとことで私の安堵感は一瞬で覆されました。

 

私は父の通院付き添いと撮影後の読影診断を母の介護と並行しながらするため、千葉からの帰省の頻度を増やすことしました。

 

その頃から身体の異変を感じていましたが「漢方薬も飲んでるし鍼灸治療も受けてるから大丈夫」と頭で判断して自分を置き去りにしていました。

修羅場経験値の高い彼女に十坪任せたい

行きつけのネイルサロンでは毎回楽しくお喋りしながらネイルケアをしてもらいます。

 

今月の担当さんは若いのに清濁合わせ飲んだような達観さで驚きました。

 

私が実家の相続で面倒なことをいってくる人間に嫌気がさし終の住処を別に探しているとか、体調が優れないなどはなすと

 

その子のお母様も公正証書遺言書を作っているとか、お父様の愛人さんにお子さんがいるなどかなりディープなおはなしを聞かされました。

 

お父様のなんにんかいる愛人さんがインスタをフォローしてきてコメントされたので返信したとか、子供の頃から刃傷沙汰になりかけたなど豊富すぎるネタに吹いてしまいました(といったら怒られそうです。なにしろ当人同士は真剣なはずですから)

 

もうこうなると他人に期待しなくなるようで、いまどきの恋愛ドラマなど笑うしかないようです。

 

いや〜いいですね。

 

なんでもありですね。

 

そしていろんな形の家族があるということですね。

 

そもそも正解がないのにこうあるべき論に勝手に振り回されている人の多いこと(自分も含めて)

 

相手の心が自由だという大前提をうっかり忘れて勝手に期待したり一枚岩だと思い込んだり、私自身も思考のクセを再認識するお喋りでした。

 

天命を知る年齢を過ぎてもとうてい達観などできませんが、人がなにをしてもそうする事情があったのだろうと深入りせず慮れたら心も楽だろうと思いました。

 

温灸治療の効果を実感

機能性ディスペプシア(原因不明のみぞおちのつかえ)でまた温灸治療を受けてきました。

 

食べたいのに食べられない。

 

いつもみぞおちに砂や石が詰まったような感覚で食べ物を飲み込むと苦しい。

 

「無理して食べなくていいんですよ」

 

のアドバイスを間に受けていたら37kgまで激やせ。

 

そうなると気力も体力もなくなります。

 

服もブカブカになりますしね。

 

内視鏡や血液検査をしても貧血程度でこれといった原因は見当たりません。やっぱりメンタルが病んでいるようです。

 

そこで温灸治療も併用することにしました。

 

艾(もぐさ)でお腹を温めると胃腸が動きだしご飯が食べられるようになる、という説明通りこわごわ試してみると普通の定食が食べられるようになりました。

 

以前は調子のいい日にふつうに食べたらあとで具合が悪くなるのを繰り返し、結局いつもすっきりせず過ごしていました。

 

今回もそうかもしれないと期待せずにいましたが、どうやら様々な治療の相乗効果が出たようです。

 

これまで通り漢方薬鍼灸治療に加え、お腹にカイロを貼りコーヒーやスゥィーツを控える食生活も続けています。