のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

機能性ディスペプシアその後

去年から悩まされているみぞおちのつかえ。

 

さまざま検査をしてもどこもなんともなく、ストレスが原因という答えになっていないような診断。

 

これを機能性ディスペプシアというらしく、近ごろこの症状の人が多いそうです。

 

美味しそうなものを食べたいなぁという気持ちはあるのに、みぞおちが痛み無理に食べると具合が悪くなる。みるみる痩せてガリガリになる。

 

食べられさえすればなぁ、気力も体力も回復するのになぁ。

 

自分でもはっきりわかるほどやつれて、見るからにどこか悪い人という風貌です。

 

これは一度よくなっても、過度な負荷がかかると再発するようです。

 

今年の初めにお薬をやめて様子を見ていましたが、夏まえからまたおかしくなってきました。

 

養生でどうなるものでもなく再びお薬の力を借りることにしました。

 

再開してすぐに母の容態が急変しました。

 

その後、去年から私を担当してくれていて遠距離介護や父の急死などの経緯をおはなししていたドクターが転勤になりました。

 

電子カルテに詳細に症状を入力してくれていて「私の同期が後任ですからね」ということでしたが、相性が合うかどうかは別問題です。

 

鍼灸治療も並行しています。

 

東洋医学では肝脾不和(かんぴふわ)または心脾両虚(しんぴりょうきょ)というお見立てで、気(エネルギー)の司令塔である肝が脾(消化吸収)を抑制して働きが悪くなっている、心(精神)も脾も弱っているという解釈でした。

 

いずれにせよメンタルがやられて食べられなくなっているので、東西医療の両面からアプローチを試みているところです。

 

機能性ディスペプシアに悩んでいる人が意外に多いことを知り、私がどんな経過を辿って回復していくかときどき綴っていきます。

秋土用は実家片付けのベストシーズン

20日から秋の土用に入りました。

 

季節の変わり目、冬に向けて少し養生しましょうという時期ですね。

 

この時期、土木工事や遠出は避けた方がよいとされていますがむしろしたほうがよいとされているのが大掃除や片付けですね。

 

私は実家片付けと並行しながら認知症の母の介護に新幹線で通いヘトヘトになりました。

 

体感からお片づけに適する季節がわかりました。

 

観光シーズンと同じ春と秋なんですね。

 

まさにいま‼︎

 

しかしこのベストシーズン遊びに行きたいですよねぇ。

 

旅行に快適なのと同じ、冷暖房なしで大きな家具を動かしたり衣類整理したり写真や書類を処分するにはもってこいの環境です。

 

どこで折り合いをつけるか人それぞれですが、長い休みの取れる夏や冬はお盆やレジャー、暑すぎる寒すぎるでなかなか捗りません。

 

私の体感としても魔窟のような高齢者宅の片付けは、たいがいどこから手をつければよいか途方にくれるところからスタートなので、集中できるのはせいぜい2時間まで。

 

エアコンなしで動ける快適な季節でもそのぐらいですから、冬物を出すタイミングで衣類の点検をし、痛んでるものは思い切って処分してみてはどうでしょう。

 

高齢者は「もったいない、まだ着れるのに‼︎」と反発必至ですが、それは無限ループです。

 

私は両親が亡くなりまだ大量の衣類がありますが、母のものは施設の着替えに家具ごと引き取ってもらい、家のものも私とサイズが同じなので滞在中の着替え用にしてどんどん減らしていきます。

 

この程度で済んでいるのも一度ほとんど処分していたお陰です。

 

今の私が当時の自分に感謝しています。

 

 

お看取りの寝巻きはどうされますか?

病棟ナースが今はさらっと聞くんですね。

 

いずれにせよ旅立ちの衣裳というのはあるのだから、普段の寝巻きやパジャマでいいですと答えました。

 

なんだか命のカウントダウンみたいで嫌ですが現実は動いていますからね。

 

いつものパジャマ姿のままいっしょに帰宅して、認知症になる前に「これを着せてほしい」と託されていた小紋の着物を着せてあげました。

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母のお気に入りだったその着物は私も大好きで、最期の願いを叶えてあげられました。

 

 

所々でツキを再認識

母が前日と様子が違うのにいち早く気づいた施設のナースが時間を繰り上げて受診しましょう‼︎と連絡をくれました。

 

父の初盆で在宅していたので、すぐ病院で落ち合うことができました。

 

お盆なので提携病院の外来はお休みでした。しかし緊急だったのですぐ受診できて、病棟も1人の方が施設へ戻られて母のためにお部屋を空けてくれました。

 

もし病室がなければさらにその先の提携病院に紹介され、遠くて毎日お見舞いに通うなどできませんでした。

 

もともと父が通院していた病院で、母の往診もしてくれていたから家族関係や病歴のカルテがありました。

 

まずそこからついてたのです。

 

付き添いナースとおはなしすると、その方のご主人は59歳で脳幹梗塞になり亡くなったということでした。

 

だから母の異変にすぐ気づけたんだ。

 

もう1人の施設ナースのお母様も脳幹に梗塞があったということでした。

 

経験値ですかね。

 

たまたまその2人がシフトの日でした。

 

いずれお別れの日はくるし、今は延命を勧めないし、自然に痛みなく命をまっとうできればいいなと思いながら付き添いました。

 

小康状態で期待してしまった時期もありましたが、緩やかに下降していき最期の日を迎えました。

 

その後の葬儀や法要も一年前の父のときに経験済みで、なんとなくそれなりにおさまりがつきました。

 

母とどんなお別れになるか想像すらしていませんでしたが、日常の延長のような穏やかさで見送ることができました。

四十九日と納骨と一周忌法要

一年のあいだに相次いで両親が亡くなり二回喪主を務めました。

 

父の突然死から10ヶ月、ようやく相続手続きが済んだのを待っていたように認知症の母の容態が急変しました。

 

なんだか状況が掴めないまま次々やってくる事務処理に忙殺され、なんども実家を往復し自分の体調も思わしくないまま流されていきました。

 

心と身体が乖離した状態でものごとに当たるのは辛く、いつもどこかしら不調があってどこにいてもリラックスできません。

 

寂しいとか悲しいとか感じる暇もなく庭仕事や雑務に追われ、ようやく法事を済ませることができました。

 

ごく少数の身内とご近所さんだけなので出欠確認や打ち合わせも去年よりいくぶん楽でした。

 

とはいっても石材屋さんや葬儀社さんや檀家寺院、料理屋さんとの打ち合わせのためだけに帰省しトンボ帰りするのは想像以上に負担です。

 

あいまにネイルやアイブロウサロンで身だしなみを整え、演奏会や神社巡りでどうにかこうにか気持ちをあげつつやってきました。

 

けして周囲が協力してくれないとかじゃないんですよ。

 

相談したり助けてくれる人がいても、最終確認は喪主である私がしなければならない。責任問題です。

 

送迎車が来なかったり母の新しい位牌を忘れたり小さな手違いはありましたが、快晴のなか納骨までできて恵まれた1日になりました。

 

少しだけ肩の荷がおりたので、どこか気晴らしに出かけようかと思います。