のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

亡くなったあとも繋がり続ける

恩師でありかつ父の友人

父の友人でもあった小学校時代の恩師の訃報を知りお焼香に行かねばと思っていました。しかし父が亡くなる数年前から年賀状のやりとりもやめてしまったようで同級生から聞いたご住所しかわかりません。実家から近いですが高齢の奥様に対応していただくのも申し訳なく思いお悔やみを送ることにしました。

 

電話番号がわからなくても現金書留で送れるか窓口で訊ねるとOKとのことでした。受け取りを確約するものではなくもし届かなければそれまでです。そのときはしかたないですね。

 

恩師はとくに音楽教育に力を入れており私の同級生はそのおかげで音楽科の学校から音大へすすみ今では私のピアノ教室で教鞭をとっています。もうそうなるようになっていたとしか思えませんね。しかも恩師と父は大学時代に出会っています。その当時はピアノ教室をはじめるなど夢にも思っていなかったでしょう。

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↑↑↑ピアノ講師となった同級生と教室の生徒さんが連弾

教室運営のバトンを渡された私と同級生は多くのものを引き継ぎ地域の生徒さんに楽しい環境を提供できていると思います。

ふるさとがある幸せ

いいところを無理に探さない

人から「羨ましい」といわれるまでふるさとがあることを当然、なんならうざいぐらいに思っていましたが歳をとるとどうやらそういった金銭で手に入らないものに憧れるようです。若いころにはわからなかった感覚ですね。

 

地元には幼稚園〜小学校からいっしょの友達が多く親同士も親しく祖父母の代からのおつきあいなどザラ。知りたくもないのに「〇〇ちゃんは今こうなんだって偉いね」みたいなやる気のない私にはいらん情報しか入ってこない環境でした。狭い社会での密なつながりは自意識過剰にはしんどいですよ。周囲の大人は比較のつもりもなくただの話題としてのおしゃべりだったかもしれませんが。

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噂好きな田舎の人たちに辟易し実家にも寄りつかなくなり自分の好きなように生きようとしていたら母が認知症になりやむなく介護することになりました。今思えばこういうことがなければ拗らした関係性を解消するなどできませんでしたね。必要なことが起きるというのは本当らしいです。

 

おかげで疎遠だった親戚や地域の人々、同級生などとよい関係性を築けて父と二人三脚で母のお世話ができました。まとめれば美しいおはなしに聞こえますが(笑)ここに至るまで必要だった時間や労力は大変なものでした。

老化を自覚する毎日

もう興味がない

日々たくさんの事件、事故、不祥事、不倫、トレンドが流れてきますがこの数年ほぼ興味がなくなりました。自分に直接関係のある制度改正などに関しても傍観している感じです。ここで慌てたり一喜一憂したところでなるようにしかならないとわかっているからなのでしょうか。いや、これは単なる老化だと思われます(笑)

 

老後の自分にとって都合の悪くなりそうな法改正とかね、でも国家の今の状態を鑑みたらもう仕方ないでしょう。納得してるわけじゃないんですがね、ほかにもっといい方法があるんですか⁇という感じですね。

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むかしは報道される他人の動向が気になってばかりいましたがそれは比較で自分の立ち位置を確認していたからにすぎません。世間からみて幸せそうにみえるポジションを取りにいきがちでしたが今となっては心が満たされないまま形ばかりととのえようとしていたのですね。そういったことがばかばかしく思えるようになったのは単に歳をとったのと世の中の仕組みがクリアになってきたから。

 

まだ達観まではいきませんが狭い人間関係のなかの古い価値観で自分を測るのだけはやめようと思っています。

周囲の目にひよる脱マスク

みんな外してない

3年前から公共の場やお店、電車など以外では苦しくてマスクをしていません。強制されたわけでもないのにみなさんすごいなぁと思っていましたよ。つい先日も校庭で体育の授業をしている小学生がマスクをつけたままでしたからね。え、外なのに⁇苦しくて倒れたりしないのかな。

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13日から個人の判断になり当然私はしていません。しかし外へ出るとみんなしています。どうしたの、もう顔のいちぶになっちゃったの⁇ふつうに道を歩いている人、自転車に乗っている人など昨日までと変わらずしっかりマスクをしています。花粉症なら仕方ないですが。

 

スーパーもいつもと変わらず店員さんもお客さんもマスク姿、ホームセンターは「マスク着用のお願い」の注意書きはそのまま貼ってあります。マスクがウィルスを防がないってもうみんな知ってるはずなのになぁ。やはり身近な誰かが外さなければ様子見なのかもしれませんね。日本人らしいなぁ。

この3年を総括してみる

パンデミックをどう捉えるか

2拠点暮らしをしているため移動制限があると途端に困ります。実家が東日本大震災の被災地で認知症の母と介護している父の生死が4日間わからず新幹線も高速道路もズタズタで戻れなかった経験がありますがウィルスが原因で帰省できないなんて予想だにしていませんでした。

新幹線は車両に私ひとり↓↓↓

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やはり想定外のことは起こります。どんなに対策や準備をしてもそれを超えることがやってくるのです。2020年3月の帰省後から蔓延防止法だの越境控えろ、他県ナンバーだと嫌がらせされるだの移動しずらくなりながらも3ヶ月以上あけることもなく実家の管理にかよいました。ご近所さんはむしろよくやってるね、とふつうに接してくれました。

母の塔婆供養ができた↓↓↓

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ささやかながらも母の回忌法要を済ませジャングルのような庭も重機を使って整地し樹木の手入れがかなり楽になりました(バネ指や腱鞘炎は治りませんが)多くの人の協力で大家さんをしているピアノ教室も運営できています。改めて本当に恵まれています。

 

首都圏での自粛生活はウォーキングの歩数が伸び16時間絶食は3年超えで定着し免疫力を高めるにはまたとない機会でした。私にとってはできたかもしれなかったことより時間を味方に手に入れたことのほうが大きな3年でした。