のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

介護とは未知の仕組みを理解し決定していく作業

急に介護認定調査員が訪問するといわれてもなんのことやらわかりませんよね。

 

お茶菓子出すのかな?とか。

 

調査員の人は1日に数軒アポがあったりで、うちのためだけに時間をさけません。

 

でもこちらはケアラー(介護者)デビューですからね。

 

とにかくどうなっていくのか不安だらけなんです。

 

日頃の生活の様子などを質問に答えて介護の等級が決まる仕組みです。

 

認知症も初期だと他人の前でいい顔をして、やたらはっきりと受け答えをするので低い等級に認定されがちです。

 

つまりせっかく認定されても受けたいサービスが受けられないのです。

 

面談だけで決まるわけじゃなく、物忘れ外来の主治医の診断書や担当ケアマネの意見など統合して◯級が妥当ではないか?と決まり書面で通達されます。

 

デイサービス(通いのリハビリ)を週3回ぐらい組みたい、ほかに家事支援もできれば頼みたいし、遠出のさいのショートステイ(お泊り)も使えたら楽なんだけどなぁ。

 

でも◯級だと上限がここまででオーバー分は自己負担になるし。

 

いつまで続くのかなぁ。

 

支払いの問題もありますからね。

 

介護費用のほかに意外な盲点が歯科治療です。

 

認知症の人は口の中の不具合や痛みを表現できないので定期的なメンテナンスが必要になります。

 

私は母の通院付き添いのためだけに新幹線で帰省していましたが、こちらがいうまでケアマネも訪問歯科の存在すら教えてくれませんでした。

 

わざわざ困難な方法を選ぶ必要はありません。

 

制度や仕組みをうまく使って負担を減らしていきましょう。

 

そのためには自分の健康を大切にし頼れる人を複数見つけましょう。

 

 

介護費用はすぐおろせるようにしておこう

今だからいえますがね、母の介護費用が下ろせずに困っていました。

 

機嫌よく長生きしてほしいと思いながらも、体調不良で入院したりふいの出費が重なるとそれなりの金額になります。

 

基本介護費用は本人の手持ちから使いますからね、毎回立て替えというのもおかしな話です。

 

遠距離で通いながらお世話していましたが、父の突然死で施設に入所することになりました。

 

毎月の費用は口座振替になるのでいいのですが、それ以外の出費は毎回負担しなければなりません。

 

これというのも母はキャッシュカードすら持っていないうえ、民間施設に入所させるための費用が定期預金になっていて本人以外おろせません。

 

あっても使えないならないも同じ。

 

正直、父を恨みましたよ。

 

そして高齢で介護費用が必要な顧客に金利のつかない定期預金を勧める田舎の金融機関のことも。

https://www.souzoku48.com/blog/60/

認知症患者の凍結した口座が何億円もあると報道がありました。

 

本来使うべきところにきちんと回せば、施設も医療機関もそこで働くスタッフさんにも循環していきます。

 

経済も回るということですね。

 

必要なぶんを解約したいと窓口で相談すると、法定相続人全員分の協議書と実印、印鑑証明その他の書類と実際支払った領収書を提出するようにと説明されました。

 

ええっと、うちのお金を預けてるんですけど⁇

 

不正を防ぐためと聞こえのいいことをいっても、銀行の預貯金残高を減らしたくないとか事情があるわけでしょう。

 

とにかく親が元気なうちに生前贈与を受けるとか、キャッシュカードを預かっておくとか、家族信託の仕組みを使うとか行動を起こしておきましょう。

 

新しい檀家のかたち

Twitterでも盛り上がったのですが現在の檀家制度を負担に感じているのは私だけではないと思います。

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以前も書きましたが実家は江戸時代から臨済宗妙心寺派の檀家で私で7代目です。

https://kotobank.jp/word/%E6%AA%80%E5%AE%B6-94886

そもそも檀家とはなんぞや?

 

ようは寺院のスポンサーで布施をして祭祀を執り行ってもらい墓地を管理してもらうのが今のスタイルですね。

 

昔はちょっと違ったようです。

 

三年前に私が檀家を務める寺院の本堂新築のため一口55万円からの布施を要求?されました。

 

父が一口支払い名前が本堂に書かれてあります。

 

複数支払った人は壁の上のほうに名前が貼り出してあります。

 

まいとし2月ごろ住職のボーナスという名目の謎の集金があり会計係が一軒ずつ檀家のいえを回ります。

 

いくら非課税法人とはいえ住職の生活もありますしどのように収支を合わせていくか先延ばしにもできません。

 

これからは廃れていく仕組みかと思われますので、直接会いたい説法を聴ききたい僧侶ならライブやフェスで、オフ会やオンラインサロンで坐禅や瞑想、作務をシェアする。

 

など、今すでに一部の若手や著名僧侶が取り組んでいるスタイルに変化していくでしょう。

 

というよりならざるをえないでしょう。

 

リアルな寺院という空間を維持するならヨガや書道、法話会、声明やご詠歌の練習場として地域に積極的に開放していくよりないかもしれません。

 

介護の悩みを仏教的に傾聴するケアラーズカフェなんかもいいですね(すでにやっている寺院があります)

 

ちなみにうちの寺院はそういった活動はほぼなく、葬儀や法要のときだけ有難いお話を聴けるというもったいない環境です。

 

ぜひ生きているうちに心のくもりが少しでも晴れるお話を聴けたら、と願っています。

 

 

毎日17時に電話しあおうなんて正気の沙汰じゃない

認知症の母の徘徊が酷くなったとき、父がその日の状況を毎日17時に連絡しあおうと提案してきました。

 

ちょっと待って。

 

私の都合はお構いなしですか。

 

私は介護のためだけに生きているわけじゃありません。

 

呆れてモノも言えませんでした。

 

公的サービスも利用せず、なんで私をタダで使おうとするのかまったく悪びれた様子もありません。

 

これから介護に直面するみなさん、親の面倒をみるのはいいなりになるのとは違いますからね。

 

できないことは断っていいんです。嫌なら逃げてもいいんですよ。

 

というより、自分の生活を犠牲にしてまでお世話しても負担なことは続けられません。

 

無理なやり方はいずれ破綻します。

 

その日のできごとを連絡しあいたいなら他のツールを見つけましょう。

 

この先自然災害も避けられませんからね、防災の意味も含めて早めにタブレットなり用意して使えるように設定までしてあげましょう。

 

長い文章が打てなくても絵文字なりスタンプなりで状況を察してあげられたら充分ですよね。

 

うちは自ら危機感を持ったようで、私と一緒に携帯屋さんの窓口で購入しすぐメールを打てるようになりました。

 

まさに80の手習い。

 

お世話されるほうだってそれで楽になり安心もできるんです。

 

お陰で日付や時間の間違いなどなくスムーズなやりとりができました。

 

介護するなら電話以外の通信手段は必需品です。

 

老眼鏡デビューのタイミングとは

40歳過ぎると眼の老化も気になってきますよね。

 

自分にはまだ関係ないわ、という人もいずれ近くのものが見えにくくなる日がやってきます。

 

幼少から近視で強度の乱視に老眼の入った眼鏡歴37年の私から、お役に立てるアドバイスを何点かさせていただきます。

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小さな書類が見えづらくなったとき、どのタイミングで眼鏡を作るのか。

 

それは「今」です。

 

早めに使い方に慣れておくほうがいいです。

 

もともと近視の眼鏡を使っていた人は抵抗がないでしょうけれど、若さに固執し老いを認められない人はギリギリまで対応しようとしません。

 

「私、まだ老眼とかきてないし〜」などとうそぶいていますが見えていないことはお見通しです。

 

世界がクリアに見えるとシワやシミなど気づかなかったものに意識がいきますが、それが現実ですから受け入れましょう。

 

重要書類の見間違いもなくなりますし、新聞や雑誌、タブレットなど見ることが億劫でなくなります。

 

必要なときだけ使えばいいんです。

 

運転する人は手元の計器と遠くの標識とどちらも見たいですから、レンズのどの部分を使うのか、どちらの焦点を重要視するのか販売員さんとよく相談しましょう。

 

楽器の演奏をする人も譜面と手元と指揮者との距離感などよく相談してみてください。

 

どんなレンズを使うかによって、お洒落な小さめのフレームが適合しないケースもあります。

 

好きなデザインとフィット感と似合うかどうかも一致しない場合もあります。

 

いろいろ試してみて第三者の意見も聞いて老眼鏡デビューしましょう。

 

お店には判断力・体力のある日に行ってください。

 

かけたり、相談したり、視力検査したりで2時間ぐらいかかりますし安い買い物ではないですからゆとりを持って出掛けましょう。