のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

この人とはもうないな

父が亡くなり相続事務が発生したとき以前からお世話になっていた税理士さんにお願いしました。

 

これまでの経緯を知っていましたし私が不動産を処分したときの手続きも一任していました。

 

しかしいくら申告納期限が10ヶ月あるからとギリギリまで仕事を仕上げてこなかったことや、千葉と仙台に離れているためなかなか意思の疎通が図れず苛立ったこともあり母のに関しては別の方にお願いすることにしました。

 

前の税理士さんは集中してやればすぐに終わることものんびり構えていて、もし間に合わなかったらどうするつもりだったのか不思議でした。

 

私は納税額も確定しないまま不安な月日を過ごし、税金を払うための算段や、なににどれだけの費用がかかるかの試算や面倒な窓口手続きを考えるだけで憂鬱でした。

 

あ〜それで体調がおかしくなったのかも(笑)

 

相続事務を毎年やることになるなど夢にも思いませんでしたが、具合が悪くなるほど辛かった経験を癒すツールや養生方法が身につきました。

 

そして、実は機能性ディスペプシア(特に原因がなくみぞおちや胃が痛む)で悩む人がけっこういることを知り、それを漫画で発表している方までいるとわかって孤独に悩まずすみました。

 

あの税理士さんのせいではなく、去年の春に父までがMCI(認知症のグレーゾーン)と診断されてからおかしくなってきたので、自分のメンタルをどう扱えばいいのか学んだできごとだったようです。

 

認知症に心当たりのあるライフスタイルII

発症の20年も前から兆しがあるといわれていますが、原因の一つに睡眠の質の良し悪しもあるようです。

 

そういえば母は眠りが浅く、お昼寝の習慣などもなく常に寝不足で不機嫌でした。

 

実証できてるかもしれません。

 

眠っているあいだに脳のゴミが掃除されということです。

 

だからきちんとした睡眠が大事なんですね。

 

漢方的には夜に気血水の血と水(陰)が作られるといわれています。

 

血は血液を含む身体のなかを巡る栄養、水は汗やリンパ液や涙などいずれもなくてはならないものです。

 

脳のゴミ掃除ができず必要な成分も作られなければどうなるんでしょう。

 

いいことはなさそうですよね。

 

血虚(栄養不足)の状態ですから、精神状態を左右する血の不足で苛立ちや不安で穏やかでいられなくなります。

 

もともとの性格もあるでしょうけれど、ねじくれたモノの捉え方や考え方でますます周囲との軋轢を生じます。

 

うまくいかないループの完成ですね。

 

ますます孤独になる。

 

数少ない周りの人を愚痴の掃き溜めにする。

 

嫌がられ距離を置かれる。

 

まずは自分を整えるのがいかに大切かなんですよね。

 

結局は己の状態が反映されるだけですから。

 

体調から心までまずは自分を整えよう。満たされていれば人を愚痴箱にしたり、そのせいで距離を置かれることもないから。

 

田舎の学問より京の昼寝

田舎で一生懸命学問するより都(みやこ)で昼寝でもしながら多様な人に触れるほうがよほど勉強になる、といった意味のことわざです。

 

現代に例えるなら、遠くで憧れの場所や人を思いながら生きるより行ってしまうほうがよい、と私なりに解釈します。

 

いくら検索したり画像を見てもリアルの空気感は得られませんからね。

 

そう、行ってみて会ってみて体感するのに勝るものはないわけです。

 

実体験では思っていたとおりだった、または思い違いや誤解していたことに気づけます。

 

〇〇という場所はこうらしい

 

〇〇さんてこういう人らしい

 

どちらも遠くから眺めるだけではわかりません。

 

半世紀以上生きてきて今さらかもしれませんが、まだまだ未体験なことがたくさんあります。

 

画像や字面ではやばや判断してしまうことがほとんどですが、面倒がらずリアルな体験をしていきたいと思っています。

 

期待していたより楽しくなかった、面白いと感じなかった。

 

若い頃はそれで損した気分になっていましたが、今はそれこそが貴重な経験と思えるようになってきました。

 

まぁそうはいってもつまらない空振りばかりだと昼寝の経験値もあがりませんが(笑)

 

払えない人はどうするんですか?タダじゃ死ねない現実と暗黙知

父のときと同じテーマですが、戒名代が明確になっているうちの檀家寺院は良心的なほうらしいです。

 

info.dual-life.site

 

 

今回母のおなまえも戴いたのですが、葬儀社さんで同じ臨済宗の別の寺院は100万円からという話を聞きました。

 

払えない人はどうするんですかね

 

生きている頃からそのぶんはきちんととっておくのでしょうか。

 

分割もあるそうですが、たいていキャッシュで一回払いが常識なようです。

 

仏教の素晴らしい法話を広める活動をするでもなし、そのお布施は住職家族の生活費になっていくのでしょうか。

 

せっかくの教えや哲学も生きているときに味わうことなく死ぬときに読経で聞かされてもね。

 

もったいないですよね。

 

檀家総代とか会計係をステータスと思い違いしている地方の田舎では誰も声をあげることはありません。

 

葬儀なんてセレモニーでしかないからどんどん簡素化されてきているのだし、時代の流れを読んで変化していくことが大事かと思います。

 

都会の人はなぜ地方に憧れるの?

都会暮らししか知らない人は自然たっぷりストレスフリーな未知の世界に憧れるのでしょうか?

 

(雪道の運転や毎朝の雪かき、ストーブに灯油を補充するなど生活の面倒も楽しめますか?とちょっと意地悪な質問 笑)

 

私は介護のために思いがけなく二拠点居住をすることになり、常に行き来することでものすごい疲労と楽しみの両方味わえています。

 

しかし地元ならではの人間関係は特殊すぎて都会の人には理解できないようです。

 

どういう関係性なの?

 

と訊ねられて「分家の◯◯さん、いつもお世話になってるの」

 

と説明してもわからないようで本家と分家の位置付けから解説しなければなりません。

 

面倒だな。

 

そんぐらいググればいいのに。

 

曽祖父母の世代からお付き合いのあるお宅も多いので、私の代で直接お付き合いをしていなくても冠婚葬祭は必ず参加する決まりです。

 

この土地から一生涯でることなく人生を終える人も大勢います。

 

都会のノリでうっかりお喋りすると会ったことすらない人が自分のことを詳しく知っていて驚くなんて普通にあります。

 

びっくりしないでくださいね、それがローカルルールですから(笑)

 

双方がお互いを珍しがって刺激があるうちはいいんですがね、人には便利な機能も備わっていてそれが「飽きる」ということなんです。

 

そのあたりも上手く飼い馴らせればローカルライフを満喫できるかもしれません。

 

要はバランス感覚です。

 

どちらかだけが優れているわけじゃない、どちらかだけだと飽きる。

 

わがままなだけか(笑)