のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

無料筋トレ鉄棒に挑戦

懸垂との合わせ技 

これまで4年以上ウォーキングしていたのに公園の鉄棒や懸垂器の存在にまったく気づきませんでした。まさにふし穴。いつも路傍の花にばかり気をとられ遊具に目がいかなかったんですね。人はいかにみたいものしかみていないのか(笑)先日みつけた懸垂器はいつも誰も使っていないのでほぼわたし専用です。夕闇にまぎれてぶら下がりにいくと横のベンチで宿題をする小学生グループに遭遇します。

 

はじめは変な人と思われないか気にしていましたが背中をむけてストレッチしていると向こうも「そういう人なんだ」みたいな認識でお互いいい距離感で過ごせます。懸垂器はぶら下がるだけで精一杯でそこから腕の力だけでうえまでいくのはまだ無理です。練習すればできるようになるかな⁇

少し離れた公園には高さの異なる鉄棒がありここで回転練習します。これは楽勝ですね。ほんの数分で身体が軽くなりなんねんも肩甲骨の痛みで治療にかけた費用や労力がバカバカしくなりますがそれは授業料かもしれません。これで背筋もついたらジムもスポクラもいらないですね(笑)

なにかになろうとする人多すぎ

けしかけられるものじゃない

自己啓発ブームのせいなのか今よりもっとよくなって何者かになろうとしている人を散見します。これ以上どうなりたいの⁇誰かに煽られてるんでしょうか。はやりの自己肯定感低めの人につけ込み無形資産を換金化しましょうなんて本気でまにうけてはいけません(笑)とはいえ誰しも承認欲求はありますから「お、自分なかなかいけてるじゃん」と思うとついなすがまま誘導され思わぬ方向へ流れ着いたりします。はたしてそれは本心から望む形なんでしょうか。

 

とある塾でそういった立て付けをすべてお膳立てし、それまで発信らしきものすらしてなかった人をステージにあげてお仕事ごっこさせる手口にいい大人がなんだかなぁと思ったしだいです。あ、べつにやりたくてやってる人を批判はしません。異業種の人と知り合う機会の少なかった人がコミュニティデビューすると急に世界が違って見えて新鮮に感じるものですから。

 

指導されたとおり自分の黒歴史やあそこで習っていわされてるのかと推測されるような提灯記事を書いたりいずれ目の醒める日はくるのでしょうね。

自立してくれてる親に感謝を

独立も起業も家族が健康でいてくれるから

担当のネイリストさんが独立することになり内装工事やその他もろもろ手続きで忙しくすごしています。手が石灰化しやすいらしく痛いと職業的に困りますよね。私も1年以上バネ指で日常生活に支障をきたし辛さはわかります(ほうっておいて治るものとそうじゃないものがある)

 

サロンでの仕事もこなしつつ自分のお店の準備をするのは大変ですよね。ネイルはジェルだけにとどまらずストーンやホログラムなど老眼の私では数えられないほど細かい素材が山のようにあり揃えるのも一苦労かと思います。10年サロン勤務してネイルが嫌いにならなくてよかったといっていました。どんなに好きな仕事でも人間関係や環境に左右されますしね。

 

私のバックグラウンドも知っていて「親の介護費用が心配」とはなしています。現実をきちんと捉えているのですね。親はいつまで健康でいてくれるかわかりません。いずれ介護する立場ならなにか挑戦するのはタイミングも大事です。一時的ではあっても介護に専念する期間は仕事ができなくなる可能性もありますしなかなか好きなようには生きられません。介護を卒業した私にいえるのは挑戦したい気持ちを温めていれば思いもよらない形で叶うこともあるということです。

いま健康でいてくれる親に感謝しできることを淡々と進めていくのが未来を切り拓くコツかもしれません。

買ってよかったもの2021食材編

醤油糀

もうなんねんも前から家にドレッシングがありません。野菜ばかり食べてるのに味つけはどうしてるのか⁇ぽん酢、または塩とオリーブオイルです。たまにバルサミコ酢とか。ちょっと飽きてきたので醤油糀を追加しました。少量で充分満足できますがここへオリーブオイルをたすとさらに美味しくなります。ずっと愛用しているフレスコバルディをおすすめします。

↑↑↑毎年可愛い手帳がおまけでもらえます

ちょっと高く感じるかもしれませんがいつも発信しているように少し先の未来への投資ですからね。食生活の積み重ねで体調は左右されます。特に中年以降はおかしな保存料や添加物となるべく距離をおくのがいいと思っています。粗悪な素材でできた廉価品に手を出すのはやめたいですよね(ストレスになるほど気にしなくてOKですが)

自分の予知能力に驚いたはなし

虫の知らせか胸騒ぎ

母はよく「今日だれか来るかもしれない」など独特の予知能力がありました。だれなのかまでははっきりしませんでしたが訪問だったり電話だったりなにかしらアクセスがありました。私はなんでも悲観的にとらえ心配ばかりしている母が嫌であまり関わらなくなりました。よくないことを予知してどうにかなるものでもないですし(事故に合うかもしれない列車に乗らずに済むとかならいいですが)

 

しかしこの数年自分にも同じ能力があるような気がしています。予知というほどのことではなくなんとなくそうじゃないか⁇とよぎったことが現実になる感じですね。スマホに着信あるかもなと感じていたら先祖代々おつきあいのある方が亡くなったと連絡がきました。実はそのあたり帰省しようとぼんやり考えていたのです。お焼香に行けますね。母の弟が亡くなったときもちょうど帰省していて葬儀に参列できました。

 

私にとってよいタイミングが与えられガイドされたとおりに歩んでいけばだいたいまちがわないようです。土地を処分するとき境界との測量に捺印をもらった隣家さんがそのあとすぐ亡くなりました。相続が絡むとお話が進みませんからざわざわするようなできごとに父とふたりで驚きました。もはや予知の領域は超えていますね。私はすでにプログラミングされたとおり生きていればいいのかもしれません。