のぞみのデュアルライフ(2拠点暮らしと養生方法)

不仲な親の介護と実家のゴミ屋敷化に悩む皆さんへ 

50年大家さんやっててよかった

発表会は最大のリターン

祖父母の代から50年ピアノ教室の大家さんをしています。高度経済成長期〜バブル期〜バブル崩壊〜コロナ禍とさまざまな局面を経て多くの生徒さんを送り出してきました。貸し教室なんてなかった時代にはじめ今ならレンタルスタジオとでもいうのでしょうがずっと地域の交差点としてありつづけています。

 

小学校時代の同級生が講師として指導してくれて私不在でも運営できています。必要なものはすべてそろっていますね。感謝です。環境整備に徹する裏方の私にも年1ご褒美がありそれが生徒さんの発表会です。今年はなんと3年ぶりに仙台会場へ聴きに行きました。20年は中止21年は越境を控えたため参加できませんでした。

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コロナ禍でも生徒さんたちは着実に上達していて驚くほどうまい子もおり選曲もYOASOBIなど今どきでいろいろ勉強になりました。女子は毎年ドレスやヘアアレンジで楽しませてくれて目にも賑やかです。この日のためにパパママ、おじいちゃんおばあちゃんまで来てくれて昔の自分をみているようです。

 

最近やたらエアコンに弱くなり外は35℃の猛暑でも会場では凍えそうで3部構成の最後までいられなかったのが悔やまれますが体調を最優先し楽しめました。

所属したい欲求を満たしてくれるおかしな場

痛い大人のあつまり

サロンやコミュニティ、地域社会などの繋がりを求めて加入したらふだんじゃ知り合えない人と接点持てた〜、嬉しい〜みたいなのって最初だけじゃないですか。これまで知らなかったから珍しいだけなんですよね⁇お互いのサービスを受け合って本を出せばわざわざ買ってそれを投稿しあうのは暗黙知ですか。

 

リアルな友達が少なければそりゃ楽しいでしょう。副業起業という志で集まれば同じ熱量のはずですしね。でもだんだん冷めていくものじゃないでしょうか。そこに所属するだけで月会費が発生する、ビジネスなら当たり前でしょうけれどそうまでしていたい場所ですか。

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私がわりとまともだと思っていた人がそういうコミュニティで広告塔のような立ち位置で発信しているのを知ったとき、所属したい欲求を満たしてくれる場がほしかったんだろうと思ったのと同時に主宰者の受け売りをしていて「やらされているのでは」という疑惑を抱きました。加えて特殊スキルを持つがゆえに利用されている感も漂いました。双方の利害が一致していれば別にいいんですが。このことは身内に理解されているんでしょうかね。

条件つきの愛しか知らなかった

思い込みからの解放

中年になっても親子関係を拗らせている人が思いのほか多いようですね。かくいう私も長年そうでしたし、たった1人のきょうだいも親と絶縁したまま介護をすべて私に押し付け看取りもせず法定相続分を要求してきました。本人曰く「嫌なことをされた対価」とのこと。ずいぶん都合のいい解釈ですこと。

 

いつまでも望む愛が手に入らなかったと当時の若かった親を慮ることもせず、ああしてほしかったこうしてほしかったといいつづけ被害者設定のまま記憶をアップデートできないことに問題があるのでは。連れ合いや親戚に自分がいかに酷いことをされたのかを繰り返し訴えひとりでも味方をえようと必死な姿はもう惨めとしかいいようがないですね。

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和解や解決に至らずとも正面から向き合うことから逃げて実家の敷居をまたげなくしているのは紛れもない自分。介護も最期のお世話もせず己を正当化したところで心から味方になってくれる人はいないでしょう。もうその話聞き飽きたよ、まだいってんの⁇というところじゃないですか。私にたいして後ろ足で砂をかけたことは自分がいちばんよくわかってるはずですよね。

病気でバランスが取れる家族関係

母が病気になって機能しはじめた

祖父母が亡くなり両親も年老いて私もそこそこいい歳になってくると昔のようにいいなりというわけにもいかず家庭がぎくしゃくしはじめました。婿養子をとって家を継げとか旧態依然の考え方を一方的に押し付けるばかりで私の気持ちや考えなどいっさい考慮しない人たちでした。望まない生き方を押し付けられて幸せになれると思ってたんでしょうか。

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地方の田舎ならいまだにありそうな話ですよね。それで結局したいこともできずよいお相手にも巡り合えず飼い殺しになってしまう介護要員ですか。

私はもう連絡をとりたくなくて遠くで暮らしていましたが、生活が破綻したためしかたなく帰るとタイミングよく母がアルツハイマーを発症していました。うまくできすぎていますね。そこから私の長い介護生活がはじまり、母の病を世間に隠し通そうとする父と連携しながらお世話することになりました。長年のいざこざはもう意思の疎通もとれずなんとなく和解した形になりました。思い返せばあれが拗らせ解消の最後のチャンスでした。

長年の習慣ってこわい

帰宅するとすぐ

40年以上コンタクトでしたから帰宅後すぐ手を洗ってはずすのを習慣にしていました。老眼に白内障もあると夕方にはかすんでもうよくみえません。乾燥のゴロゴロ感も不快ですしね。しかしはずすとなにもみえなくなり慣れた室内でも危険でした。自分のメガネの上に座ってしまうとかあるあるです。

 

白内障手術をすると洗浄保存液につけるとか旅行や帰省先にメガネとケア用品両方持つなどの手間と荷物がなくなります。先日の検診で両目で裸眼0.9でした。これは運転もOKですね。右のかすみがまだ気になりますが昔に比べれば夜道も信号も滲まないでみえるのは感動です。

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しかし帰宅が遅くなると「早くコンタクトはずさなきゃ」といまだに思うのですから習慣ってこわいですねぇ。保存液やケースなどのケア用品は感謝して処分しました。長いあいだありがとう。