思い込みからの解放
中年になっても親子関係を拗らせている人が思いのほか多いようですね。かくいう私も長年そうでしたし、たった1人のきょうだいも親と絶縁したまま介護をすべて私に押し付け看取りもせず法定相続分を要求してきました。本人曰く「嫌なことをされた対価」とのこと。ずいぶん都合のいい解釈ですこと。
いつまでも望む愛が手に入らなかったと当時の若かった親を慮ることもせず、ああしてほしかったこうしてほしかったといいつづけ被害者設定のまま記憶をアップデートできないことに問題があるのでは。連れ合いや親戚に自分がいかに酷いことをされたのかを繰り返し訴えひとりでも味方をえようと必死な姿はもう惨めとしかいいようがないですね。
和解や解決に至らずとも正面から向き合うことから逃げて実家の敷居をまたげなくしているのは紛れもない自分。介護も最期のお世話もせず己を正当化したところで心から味方になってくれる人はいないでしょう。もうその話聞き飽きたよ、まだいってんの⁇というところじゃないですか。私にたいして後ろ足で砂をかけたことは自分がいちばんよくわかってるはずですよね。