認知症の母と同居の父が母の身の回りのお世話をしています。私は一カ月のうち一週間滞在して、季節ごとの母の衣類の仕分けや日常の家事、ケアマネージャーとの打ち合わせ、不要品だらけの「親家片」などなどをしています。一週間で手持ちのエネルギーをほぼ使い尽くす感じなので、わずかな余力だけ残すように要は頑張りすぎずに次回へ繰り越すよう調整しています。
昨今の気象状況だと調節着の存在が侮れません。自宅内と施設内では室温が違ったり、送迎車の外の気温、リハビリや体操で汗ばんだり一日の中でも本人が快適かどうか少し気を付ける必要があります。
母は着道楽だったのもあって仕事をやめて認知症になる前までも、ずっと服を買い続けていました。買うことに満足を感じるタイプだったので、買ったからといって着るわけでもなくずっとクローゼットで忘れられていたり、でも手放すことを拒否していました。なので衣替えで書いたようにスカート、ワンピース、ファスナーやボタンのズボン、ブラウスなど着脱の難しいものはすべて処分しましたが、それ以外のセーター、カーディガン、カットソー、オーバーコートなど上着類はほぼそのまま着られるものばかりで、買い足すこともあまりなく現在に至っています。
しかし肌着類は失禁が始まり食べこぼしもあり、いくら数が多くても消耗品なので傷んだら新しく買わなければなりません。さて、こんな時一人で介護している男性ケアラーはどうのようにしているのでしょうか?このような話は介護カフェでの交流会でも話題にのぼったことがありません。またはそのような場にいたことがないのでわかりません。
うちの場合は私が帰省している時に母の買い物を済ませるようにしているので、肌着は買ってさえおけばその日の気温に合わせて父が着せてくれます。私が衣類整理をして千葉に戻ってからあれこれ気づいた場合は、千葉で買ってそのままお店から送ります。サイズや着脱しやすさなどわかるので、ネットではなくリアル店舗です。父は届いた荷物の値札を外してあとは母に着せるだけなので、女性肌着を買いにいくのが恥ずかしいという悩みはありません。私がいてやっているのをそんなもんだと思っているので不便と感じたこともないようです。
ただ「食のアセスメント」調査の保健師さんには、日常の困りごとの一つとして「女性ものの衣類購入がちょっと恥ずかしい」と言っていたので、少しは私の存在を有難いと思ってくれてはいるようです(笑)
男性ケアラーは家事慣れしていても、これまでの健康だった配偶者像から抜け出せず、状況変化を受け入れられず混乱し暴言や暴力、またはネグレクトに陥ることが少なくありません。高齢になればなるほど現状維持に固執し変化そのものを好みません。「今までこれでやってきて上手くいったんだから」という過去の成功体験にしがみつき、世の中も自分も動いているという事実を置き去りにしがちです。
そんな中ふってわいたように配偶者の介護が始まれば、何から手をつければよいかわからなくなります。これまで見過ごしてきた配偶者の肌着購入や散髪、トイレや入浴の介助など一気に問題が押し寄せてきますから、近くに相談できる人や同じような状況の友人、娘などがいない人は自分ですべてを解決しようとして自滅します。女性肌着の購入はほんの一例でうちの場合は困ってはいませんが、もし知り合いでそんな男性ケアラーを見かけた時は「何か手伝いましょうか?」ではなく「奥さんの下着とかご飯どうしてる?私でよければやるよ!」ぐらい強引に声がけしてあげてほしいのです。それでも「いえ、大丈夫ですから」とほぼ断られるはずです。なので「誰それさんも頼める人がいなくて困ってるんだって」と作り話でいいので次に繋げられる余韻を残してあげて下さい。
男性ケアラーは共感されたことは覚えていて、あなたに何か頼まなくても声がけされたことが嬉しくてちょっとだけ奥様に優しくなれると思います。うちの父で実証済みですから。