いつも心配ばかりして自分のことを二の次にしていた母は、本当は手放しで愛されたいとか役割から解放されたいとか思っていたはずです。
更年期前後の心身共に揺らぐ時期から介護がスタートし、恨みつらみや愚痴が多くなり私を無料の愚痴箱にしていました。
ええ、まったくいい迷惑でしたよ。
よく思われたくて引き受けたことでも、本音と違って嫌だったり義務感で仕方なくだったり、持って行き場のない感情を処理する場がありませんでした。
だったらいい顔しなきゃいいのに。
両方の両親を見送ってようやく自由になると、つまらない消費で自分を満たすような勘違いに陥り、そこから様々な興味関心を失っていきました。
それが認知症の始まりでした。
嫌な環境から逃げたい、でも非難されたくない。なにもかもわからなくなればどうにかなるんじゃないか。
そんな思いもあったかもしれません。
発症したばかりの頃、父は怒鳴ってばかりで母をよくなじっていました。なぜそうなったのかもわかろうとせずに。
すべての原因とはいいませんが、自分に非があるなど露ほども疑わないその姿勢に落胆しました。
コイツになに言っても無駄だな。
あなたの無理解が母を追い詰めたんですよ、ここにいるのが嫌だから毎日徘徊して警察沙汰になるんですよ。
ケアマネ同席の場でもはっきりいいましたが「なぜ介護でしんどい自分が非難されるのだ」といわんばかりの態度に呆れたものです。
紆余曲折を経て母はすべての役割から解放され、手放しで大事にされる環境を手に入れました。
母のささやかな願いは思いもよらない形で叶いました。