ブログを相互フォローさせていただいている方が興味深いことを綴っておられました。
乳幼児を抱えているその方は好きなアーティストのライブへ行きたいのだけれど、お子さんを預かってもらうための段取りでもう疲れてしまう、ということでした。
なんのしがらみもなく思いつきでふらりとライブだ気晴らしだ、と行けなくなるのは辛いものです。
介護も同じで前々から予定していた楽しみも、親の急な体調変化や受診予定などで自分のことが後回しになりがちです。
自分でなにもできない人を優先するのは当然ですしね。
そして日本はまだまだ、育児や介護をしている人が気晴らしすることに不寛容な社会かもしれません。
育児または介護中なのに遊び歩いている、自分の役割に専念しろとでもいうような世間の声(おそらく幻聴)がどこからともなく聞こえてきます。
声の主は自分自身だったり、親だったり、身近な顔見知りだったり様々です。
私の母も両方の両親をお世話しているとき、いつなんどき連絡がきても対応できる範囲でしか行動しませんでした。
もしものとき、たまたま自分の用事で出掛けていたら「長男の嫁のくせに遊び歩いていた」などと口さがない言葉を使う人が当時はふつうにいたんですね。
それでかなり嫌な思いをしたようです。いった人はそれだけ立派なのかというとそんなはずはありません(笑)批判したいだけなんですから。
そんな人種の顔色を伺いながら生きるというのは相当なストレスです。それだけが原因ではありませんが母は次第にメンタルがおかしくなっていきました。
自分がされたように、楽しんでいる人を許せず非難してしまう。
己が満たされていれば他者の振る舞いなど気にならないはずです。
しかし自分を満たすことがでず不満が燻っていた母は自由な私が目障りだったようで、たびたび無料の愚痴箱にされました。
当時の母と同じ立場になり時おり幻聴が聞こえてきますが、行き過ぎを自制する内なるものか空耳か判断しかねるところが多分にあります。