東日本大震災発生から4日間実家の固定電話が通じなくなり、テレビではヘルメットを被った安藤優子さんなどキャスターの人達が、しだいに明らかになってくる被害情報を刻々と伝えています。
道路が寸断され現地入りしようにもヘリしか手段がありません。流通が止まり、近所のスーパーでは食材や日用品を買い溜めする人が列をなしています。ふるさと宮城県のよく知った海岸の風景は防波堤や松並木をなぎ倒した津波跡で、もうどのあたりの景色かわからなくなっていました。港町気仙沼は町から海までどこまでも火災。消火しようにも消防車も出せない、まして海の上の漁船の火災はどうしようもありません。
一日中そんな情報ばかり、福島第一原発はメルトダウンしたというし、私の住む地区も輪番停電というものが始まりました。両親は無事なのか?災害伝言ダイヤルにメッッセージを入れても、そもそも聞き方のわからない高齢者には一方通行でしかありません。
職場で「被災地に誰か住んでるの?」と年配の方に聞かれ「親が住んでいて連絡取れません」と答えた数日後、「輪番停電だと冷蔵庫の中どうしよう!?へへっ」みたいな言動に「まだ三月なんだから冷蔵庫の中なんてどうでもいいだろう!!こっちは親の生死が不明なのにふざけるな!」と怒りを感じたものの他人の状況に配慮のない、歳に不足のないその人が哀れに思えてきました。
まさに想像力の欠如。そして「千葉は自然災害少ないよね~」などとぺらぺら喋り続けるので「災害で断水すると洗い物ができなくなるから、お皿をラップでくるんで使うといいですよ」とだけ伝えました。「いいこと聞いた♪」と言ってましたが、どの程度響いたかわかりません。
公衆電話や自宅の電話、携帯などからいくらかけても電話そのものが繋がらず、やっと地元の友達の携帯に繋がっても「ごめんね電池なくなっちゃうから」とその人の安否はわかっても親の安否はわかりません。
町役場は「死者・行方不明者はいません」との回答でしたが詳細が掴めません。意をけっして消防団青年部の人の携帯にかけると今自宅だとのこと。背に腹はかえられないので、そこから車で2分ほどの実家へ様子を見に行って欲しいと頼むと「いいっすよ」とすんなりOKしてくれて、着くとすぐに携帯を繋げてくれて在宅の母と話すことができました。
父も無事で外出中でした。本当に有難かったです。個人情報がどうこういっても今私が実家から離れて暮らしていると伝えてなくて、日頃から近所づきあいもせず連絡先交換をしてなければこういう時本当に困ります。
そして高齢でかつ認知症なら尚更災害弱者になるわけで、だからこそ何通りかの連絡手段を持つ必要があることを痛感させられた出来事でした。
高齢者こそケアラーこそITを!と強く言うようになるきっかけはこの体験によるものです。